「日報をAIに丸投げ」した新人の1年後の悲惨な末路 日報はなぜあるのか? AIを「使うな」ではなく「使い方を考える」必要がある
少し昔の話をしたい。
筆者は56歳なので、ワープロが普及し始めた頃のことも覚えている。ワープロは当時とても革新的だった。しかし同時に、
「ワープロで文章を書いていると、漢字が書けなくなる」
とよく言われた。手元に分厚い辞書がなければ長文なんて、とても書けなかったのに、ワープロなら変換キーを押せば候補が出てくる。辞書機能がついていれば、自分で記憶し、思い出す必要もなくなった。
ワープロが登場して、本当に便利になった。しかし、その便利さと引き換えに、漢字を記憶する力が衰えていった。
今、同じことがAIで起きているのではないだろうか。
AIを使えば、文章を構成する力がなくても、それなりに整った文章が出力される。要点をまとめる力がなくても、AIが代わりにまとめてくれる。便利だ。しかし、その便利さと引き換えに、人間の「考える力」が衰えていく気がする。
ワープロの場合は「漢字を書く力」だった。AIの場合は「思考を整理する力」「要点をまとめる力」である。失われるものの重大さは、比べものにならないかもしれない。
部長が下した決断
機械メーカーの部長は、この事態を受けて、ある決断を下した。
「日報は、手書きで提出させることにしました」
極端な措置に思えるかもしれない。しかし、部長にはこんな考えがあった。
「AIを使うな、とは言いません。ただ、日報だけは自分の頭で書いてほしい。毎日15分でいい。今日あったことを振り返り、自分なりの言葉でまとめる。その15分が、彼らの思考力を取り戻すトレーニングになると思うんです」
手書きにしたのは、物理的にAIを使えなくするためだ。パソコンやスマホで書かせると、どうしてもAIに頼りたくなる。手書きなら、自分の頭で考えるしかない。
最初は不満の声もあったという。しかし、1カ月ほど続けると、変化が見え始めた。
「日報の内容が、明らかに変わってきました。最初は事実の羅列だけだったのが、『なぜこうなったのか』『次はこうしたい』という考察が入るようになった。本人たちも、『頭を使っている実感がある』と言っています」


















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