南海5000系「泉北の顔」はどれほど斬新だったのか 順次「南海カラー」に塗装変更でも残る"独自色"

✎ 1〜 ✎ 69 ✎ 70 ✎ 71 ✎ 72
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

泉北線は中百舌鳥と和泉市の和泉中央を結ぶ14.3kmの路線。1971年に泉北高速鉄道の前身、第3セクターの大阪府都市開発によって開業した。現在は途中駅として深井、泉ケ丘、栂・美木多(とが・みきた)、光明池がある。73年に栂・美木多、77年に光明池、95年に和泉中央まで延伸開業した。

朝や夕方以降の通勤・帰宅時間帯には有料座席指定の特急「泉北ライナー」が難波を発着する。日中は難波―和泉中央間を走る区間急行や準急のほか、中百舌鳥―和泉中央間を折り返す各駅停車が設定されている。

大阪南部に広がるニュータウンの通勤通学の足としての性格が強く、沿線の観光需要は乏しい。が、「#まいど通天閣」の副駅名がある新今宮や、天下茶屋、堺東の各駅など中百舌鳥までは高野線の電車と同じように走るため、外国人観光客も知らず知らずのうちに泉北線車両に乗っていることになる。

1990年に登場した5000系

泉北線は71年の開業当初は南海電鉄に業務を委託していたが、88年、鉄道施設を保有して列車を走らせる第一種鉄道事業免許を取得。93年までに段階的に直営化した。その当時に登場したのが「5000系」だった。

5000系は8両固定編成5本が在籍する。90年にトップナンバーの5501編成が登場。95年までに5503編成・5505編成・5507編成・5509編成が導入された。

5000系が登場するまで泉北線の車両は銀色のステンレス車体の「100系」と「3000系」。それぞれ直通する南海高野線の「6100系」と「6200系」をベースにしていた。

南海5000 元泉北高速5000 車内 ロングシート 更新後現状
ロングシートが並ぶ5000系の車内(記者撮影)
【貴重な写真】大阪府都市開発のオリジナル車両「5000系」のトップナンバー「5501編成」は1990年にデビューした。登場時の試運転や運行開始初日の様子も
次ページ登場時は画期的な車両だった
関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事