しかし、生成AIの登場によって、この前提は根底から揺らいだ。これらの能力の多くは、少なくとも一定の水準までは、すでにAIが人間を大きく上回る効率と正確性で実行できることが明らかになった。AIは疲れることなく、膨大な知識と解法を瞬時に呼び出すことができるからだ。
その結果、共通テストが測ろうとしてきた能力の中核部分は、もはや人間がAIと競争しうる対象ではなくなりつつある。
現行の試験制度は限界に達している
試験制度は本来、「社会が人間に期待する能力」を選別し、評価するための制度である。共通テストを含む大学入試制度も、これまでは「人間にしか担えない、あるいは人間が担うべき知的能力」を測定するものとして、一定の合理性をもっていた。
ところが、いまやその前提は崩れた。それにもかかわらず、試験制度の基本はほとんど変わっていない。
現行の試験制度は、AIが最も得意とする能力を、依然として中心に置いて測定し続けている。AIの利用を前提としない試験は、一見すると妥当なものと思えるが、実際には「AIに代替しうる能力」を過大評価する結果になっている。
共通テストで示されたAIの圧倒的な成績は、単にAIの性能向上を示すものではない。日本の教育制度と試験制度が過去の知的環境を前提にしていること、その結果、もはや制度的限界に達していることを示しているのである。
では、試験制度は何を測る装置であるべきか。本来問われるべきは、単なる答えだけではない。どのような前提の下で問いを立てたのか、複数の解釈や解法がありうる中でなぜその答えを選んだのか、その判断を自ら説明できるかどうか、などである。
つまり、情報検索や計算、定型処理をAIに任せたうえで、なお人間が担うべき判断や構成や意味づけの能力を問うべきだ。


















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