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《日本の危機を救った》2027大河主役「小栗忠順」はどんな人物か

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  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)
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使節団の目的は安政5(1858)年に締結された日米修好通商条約に基づいて、ワシントンでの批准書を交換するというもの。だが、その船旅は過酷なものだった。

船は日本を出発してすぐに暴風雨に遭遇。出航当初こそ、みな甲板で景色を楽しんでいたが、江戸湾から外洋に出たあたりから波が高くなり、船は激しく揺れ動いた。

乗客のほとんどが船酔いに悩まされて、気持ちが悪くてろくに食事も取れなかったという。小栗も例外ではなかったようだ。乗船者から体調を聞かれたときにこう答えている。

「大変胸が苦しい、ひどいものです」

「大変胸が苦しい、ひどいものです」(イラスト:伊達努)

来るんじゃなかった……と、後悔してもおかしくはないが、アメリカでの経験が小栗を大きく成長させることになる。

欧米のネジやバネを持ち帰る

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小栗が使節団の一員に加えられたのは、理由があった。井伊直弼が「財政に詳しい小栗も派遣して、アメリカの国務長官に日本の通貨がどのようなものかを説明してもらおう」と考えたために、小栗に白羽の矢が立てられたようだ。

現地に着くと、そんな井伊の期待に応えるべく、サンフランシスコ、ワシントンで財務担当や国務長官と交渉を重ね、フィラデルフィアに着くと造幣局へと向かった。

現地で小栗は天秤ばかりとソロバンを駆使して、アメリカの国務長官に必死に説明。取引で日本が不利にならないようなルール作りに貢献した。

その後も大統領や官僚、軍人、議員、市長、工場長、職工、市民などさまざまなアメリカ人と出会った小栗。

なかでも海軍造船所を視察できたことが印象的だったようだ。

そのときに見たネジやバネをもらうと、よほど珍しかったのか、大切に日本まで持って帰ってきている。

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