4代目プリウス、4年に渡る汗と涙の開発秘話 「いい走り」で海外からの評価を得られるか
2011年10月、トヨタ自動車で電気自動車(EV)やプラグインハイブリッド(HV)の企画開発に従事していた豊島浩二は、トイレに向かう途中、製品開発本部副本部長(当時)の吉田守孝(現専務役員)に呼び止められた。
「今、豊島は何をやっていたんだっけ」と切り出した吉田は「垂直立ち上げの準備をしておけ」と意味深な言葉を残して去っていった。数日後、豊島はプリウスの次期モデルのチーフエンジニアを拝命することになった。
「三重苦」のプレッシャーがのしかかる
次期プリウスについて、他人事のように「大変そうだな」と思っていた豊島。その日から
①トヨタの看板車種となったプリウスのフルモデルチェンジ
②TNGA(トヨタ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)の第一弾
③豊田章男社長が打ち出した「もっといいクルマ作り」の最初の車
という三つのプレッシャー、「三重苦」と戦うことになる。
まず、プリウスの名を継ぐ車として重視したのは看板である燃費性能だ。開発チームは40キロを「大台」と呼び、当初から目標として掲げてきた。
12月9日に日本で発売される新型プリウスは、一部グレードながら燃費性能で1リットル当たり40キロ(JC08モードという日本の試験方法でガソリン1リットルで走れる距離)を達成した。
これは現行プリウスの32.6キロを2割以上上回るだけでなく、トヨタの小型ハイブリッド「アクア」、スズキの軽「アルト」の37.0キロも抜き去る国内トップの数値となる。
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