「馬にも乗れない武将」の誤解
2万5000もの兵を率いる今川軍を、織田軍がわずか3000の兵で打ち破ったことで、織田信長はその名を轟かせることになった。後世に語り継がれる永禄3(1560)年の「桶狭間の戦い」である。
実際に兵力の差がどれほどあったかは諸説あるが、織田軍が大将の今川義元を討ち取ったことで、大番狂わせを起こしたことには違いない。その後、今川家が没落の一途をたどったことから、今川義元はどうしても過小評価されがちだ。
「馬にも乗れない武将」
尾張に攻め入ったとき、義元が馬ではなく輿に乗っていたことから、そんなふうに揶揄されることもある。だが、義元は、足利将軍家から塗輿に乗ってよいと許可されており、戦略的に公家大名としての権威を示していたと考えられる。
今川家がどれほどの権勢を誇っていたか。歴代当主に触れながら、前回の記事に書いたところ、大きな反響があった。


















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