「中国こそ地球を管理する」父を粛清した毛沢東に心酔する習近平――"第2の文革"完遂を目指す恐るべき野望

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私の研究と分析によれば、習仲勲が倒されたのは決して彼が劉少奇一派だったからではない。中国共産党の指導者たちは毛沢東の湖南省をはじめ、江蘇省などほとんどが南方出身である。35年秋、彼らが国民党軍に敗れて陝西省延安にたどり着いたとき、陝西省にはすでに別の共産党があった。そのリーダーの1人が習仲勲である。

北方共産党と南方共産党の2つの派閥は35年まであまり接点がなかった。加えて、中国の地域差は大きく、陝西省と湖南省の方言はほとんど通じないほどだ。それでも、みな共産革命を信じていたので、北方共産党は逃亡してきた毛沢東ら南方共産党のメンバーを受け入れたのである。

しかし、しばらく経つと習仲勲だけを残して、劉志丹など他の北方共産党幹部たちが相次いで謎の死を遂げた。やはり、北方共産党のトップだから習仲勲だけは生き残らせたのだろう。中華人民共和国成立後も習仲勲は国務院副総理まで昇格した。

地元の反発の懸念から、習仲勲だけは残した

60年代初期に、小説『劉志丹』が出版された。それは陝西省共産党がいかに革命を成し遂げたかという内容だった。出版直後、毛沢東の下で情報部長を務め、党内のスパイ摘発で工作を数多く仕掛けた康生らが、毛に「この小説が広まるのはまずい」と会議中にメモを渡した。メモを見た毛は即座に「小説を利用して党に反対する人間が新たに現れた」と発言した。その直後に習仲勲は失脚した。

というのも、その小説『劉志丹』の中で北方共産党幹部たちの謎の死に触れていたのだ。要するに、北方共産党が受け入れたにもかかわらず、権力を握りたい南方共産党が暗殺を仕掛けたという物語だ。全員を殺すと地元の反発も強まるから、習仲勲だけは残したというわけだ。

父の故郷に下放された習近平は、陝西省の地元農民から温かく見守られて成長した。下放先で共産党党員となり、党支部書記を務めるなど出世をしていく。

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