「経営の神様」にならなかった丹羽宇一郎氏となり損ねた永守重信氏、2人の経営者の"去り際"に透ける決定的な差

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丹羽宇一郎と永守重信
2025年12月に逝去した伊藤忠商事元社長の丹羽宇一郎氏(左)と、同月にニデックの代表取締役を辞任した永守重信氏(左写真:今井康一、右写真:ヒラオカスタジオ)
2025年末に2人の有名な経営者が「去った」。1人は、同年12月24日に86歳で逝去した伊藤忠商事の元社長で、中国大使も務めた丹羽宇一郎氏。もう1人は、丹羽氏が逝去する5日前の12月19日、国内外の子会社で不適切な会計処理が判明したことを受け、代表取締役を辞任したニデック(旧・日本電産)創業者の永守重信氏である。
2人はいずれも強烈な存在感を放った経営者でありながら、「経営の神様」とは呼ばれてこなかった。なぜか。「経営の神様」が生まれる背景とその条件を、前後編に分けて解説する。
後編:2兆円企業ニデックを築いた永守氏が見落とした《エフェクチュエーション》の死角、予測不能な時代にAIではなく「経営の神様」が求められるワケ
(外部配信先ではハイパーリンクや画像がうまく表示されない場合があります。その際は東洋経済オンラインでご覧ください)

無宗教なのに「経営の神様」を仰ぎたがる日本人

「経営の神様」と聞いて、多くの日本人が松下幸之助氏や稲盛和夫氏を思い浮かべるのは偶然ではない。

両氏に共通する最大の特徴は、思想の普遍性と実践の徹底性である。経営を利益追求のノウハウと捉えず、人としての生き方や社会への貢献と結びつけて語り、その理念を日々の意思決定に落とし込んだ。時代や業種を超えて語り継がれるのは、成功体験そのものよりも、誰もが拠り所にできる価値観を提示した点にある。

経営者である前に、一人の人間としてどうあるべきか。その問いに真正面から向き合った姿勢こそが、「経営の神様」と呼ばれるゆえんである。

「私は無宗教です」という日本人は多い。ところが「神様」が好きである。箱根駅伝でも過酷な山上り区間で、圧倒的な走りを見せた選手を「山の神」と呼ぶ。

なぜ日本人は、「経営の神様」をはじめとして、成功した人間を「神」のように仰ぐのか。

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