「経営の神様」にならなかった丹羽宇一郎氏となり損ねた永守重信氏、2人の経営者の"去り際"に透ける決定的な差

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丹羽氏は、決して「神様」を演じなかった。神格化を拒み、1人の人間として責任を背負った。電車通勤を続け、飾らない言葉で語り、自分の限界を隠さなかった。それこそが社員に「この人なら信じられる」と確信させ、伊藤忠を再生させた。

一方、「経営の神様」と呼ばれるには至らなかった永守氏だが、『稲盛と永守』(名和高司・京都先端科学大学教授著、日本経済新聞出版)なる本が出た21年頃は、本人も尊敬する稲盛氏に並ぶ「経営の神様」を目指していたのではないだろうか。

永守氏は1973年、28歳のとき、高度経済成長の残り香が漂う京都で、従業員3人とともに日本電産を創業。「世界一のモーターメーカーになる」と宣言し、有言実行を旨とした。

寝る間も惜しんで働き、精密小型モーターから車載機器、産業用ロボットへと事業領域を広げ、70件以上のM&Aを実行することで事業規模を拡大。2020年代には売上高2兆円を超える企業へと急成長を遂げた。

永守氏が頼った「目に見えない大きな力」

00年代初頭に「30年度に売上高10兆円」という目標を掲げた(25年6月に断念)永守氏は、「経営者はもっとホラを吹かないといけない。しかし、孫(正義)さんには負ける」と淡々とした口調ながら、茶目っ気をにじませて語っていた。

その一方で、「経営者は小心者でないといけない」という、慎重で謙虚な一面も併せ持っていた。この考え方を形づくる契機となったのが、創業翌年の1974年に直面した倒産危機である。

オイルショックの影響で主要取引先が不渡りを出し、会社は倒産寸前となった。

永守氏は、母親が信仰していた神道系新宗教の1つ、九頭竜大社の教主から「会社は必ず大きくなる、今は耐えろ」という旨の助言を受け、その直後にスリーエムからカセットテープ用小型モーターを大量受注し、瀕死の状態から脱した。

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