「意味深な"桜の花びら"のシーン」「自分だけを『清廉潔白』には描いていない」 伊藤詩織氏《"波紋"のドキュメンタリー映画》を見て驚いたこと
伊藤自身がカメラに向かって話しているところを全部カットして、と山崎に言ったと、パンフレットで伊藤は述べている。
そんなやりとりもあったなか、結果的に映画では伊藤の自撮りが多く使用されていることが興味深い。自撮りにしても、他者が回したカメラの映像にしても、伊藤は常に見られることを意識しているだろう。
隣の女性客は小さく拍手していた
この映画を伊藤は、「私としては当事者の自分が監督として作るんだったら、日本の社会や司法のことを説明して教育するような映画にはしたくありませんでした」と語っている。
他人に踏みにじられた道をもう一度自分の力で作り直す、果てしない旅路。でもそれを、つらく悲しい物語には決してしないという矜持。常に、美しく、凛として、ときには陽気に踊って(『恋のサバイバル』の選曲が秀逸)。伊藤を応援したくなる人がいるのも理解できる。
“ブラックボックス”が、マトリョーシカのように開けても開けても入っているような映画である。人は他者の前で演じているものだという場合、ではどこまでフィクションで、どこまでがノンフィクションなのか。そんなことも考えさせられる。
賛でも否でも疑問でも、見ると誰かと無性に話したくなるような映画で、公開規模がじわじわと拡大されていくのも当然だろう。
連日、映画が終わると拍手が沸いているとSNSなどで見たが、筆者の見た回は静かだった。ただ隣の女性客は小さく拍手していたので、そういう人たちがほかにもいたかもしれない。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら