「意味深な"桜の花びら"のシーン」「自分だけを『清廉潔白』には描いていない」 伊藤詩織氏《"波紋"のドキュメンタリー映画》を見て驚いたこと

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伊藤は事件のあったときは25歳で、まだキャリアもなかった。まだ何者でもなかった人物がときに大人たちに助けられ、ときに傷つけられて、7年闘った、映画はその成長の記録でもあるのだろう。それもひじょうに壮絶な。

パンフレットの伊藤のインタビューでも取り上げられている「25歳だったのに、33歳になっちゃった」という言葉が印象的だ。

インタビュアーが「(前略)ちょっとホッとできる。安心して伊藤さんに歩みよることができる」と発言している。伊藤はそれに対して「なるほど。人間味を感じられたということでしょうか。もっとも、私自身は今の年齢に安心していませんけれどね(後略)」と返している。

ここで感じるインタビュアーとインタビュイーとの温度差は誤解を恐れずに言えば、捜査員Aと伊藤の電話でのやりとりの温度差にも少なからず似ているような気がする。ズレがあるという点において。

筆者が伊藤と同性だからだろうか、「25歳だったのに、33歳になっちゃった」という言葉にハッとなった気持ちは、パンフレットの「私自身は今の年齢に安心していませんけれどね」という回答でとても腑に落ちた。

夢と希望に満ちあふれていた20代の半分を、思いがけない活動に費やして、30代になってしまった。思えば遠くに来たもんだ、であろう。しかも、彼女ほど美しく聡明な人だから、自分自身の状態にはひじょうに繊細な思いがあるのではないかと思う。

ブラック・ボックス・ダイアリーズ
性暴力被害を訴えた裁判は5年におよんだ(写真:映画『Black Box Diaries』公式サイトより)

「桜の花びら」のシーンが表していること

結果的に、思い通りにいかなかったことによって、とてつもない偉業を成し遂げたわけだけれど、それは後付けでしかない。ここに至るまでには、それまで自分の意思で歩いてきたのに、突如として本意でないことに出くわし、ことごとく他人の事情で道が歪められてしまう現実は許容できないだろう。

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