「意味深な"桜の花びら"のシーン」「自分だけを『清廉潔白』には描いていない」 伊藤詩織氏《"波紋"のドキュメンタリー映画》を見て驚いたこと
しかも、あとに声で登場するホテルマンがあまりにも善人で、これがフィクションだったら理想の展開になっている。でもこれはノンフィクションなのだ。
捜査員Aのあまりにも人間的な発言の部分がなかったとしても、映画は、事件の真実を明らかにする目的は十分に果たしたはずだ。むしろあえてここを残すことで、別の意味がもたらされてしまうとも言える。
ただし、この捜査員Aが一方的に困ったところもある人なのだと思わせるだけでなく、伊藤にもまた、ここを使用することでリスクがふりかかっているようにも思う。捜査員Aとのやりとりにおいて、男性にある種の親しげな感情を持たせてしまいそうな柔らかな声と口調を、伊藤が選択していると感じる観客もいるだろう。
彼女がもっと低い声やきつい話し方をしていたら、協力すらしてもらえなかったかもしれない。また、彼女が醸すこの雰囲気が、外野から反感を抱かれそうな要因となりうると筆者は感じた。だが、もしかしたら、自己防衛、あるいはジャーナリズム的な感覚で、確信犯的に口調を選択しているのかもしれないとも思う。
「25歳だったのに、33歳になっちゃった」
興味深いのは、外国人に向かって英語で話すときの伊藤の声は低く強くしっかりしていることだ。それから、映画に登場するほかのジャーナリストや編集者、法曹界の女性たちは皆、映画の中で伊藤とはどこか違って見えた。映画の主役でもある伊藤に対して彼女たちは脇役であるということも含め、粛々と仕事している口調なのだ。
これはあくまで筆者の印象である。そしてそれに関しての是非を問うつもりはない。誰でも相手や状況で話し方も内容も変わるものだからだ。



















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