寝耳に水の宣告から数日後、さらに追い打ちをかける出来事があった。仕事中、同じく雇い止めにされた人が会議室に集まるよう指示されたのだ。
約60人の職場は9割近くが非正規職員。このうちの十数人が立ち上がり、ぞろぞろと歩き出す。そのなかでもベテランだったミチコさんが腰を上げた瞬間、「え? ミチコさんまで……」というざわめきが聞こえたという。
会議室では再就職支援と称し、1件の求人票が示された。事務補助の仕事で給与は半減。応募はしなかった。「雇い止めにされたことを、ほかの人に知られたくはなかったです。あの日の悔しさは一生忘れません」と語るミチコさんの声は震えていた。
やりがいと誇りを感じた仕事
労働局で働き始めたのは30代のとき。主に事業者を対象にした相談員で、人材育成や安定雇用のための助成金に関するアドバイスをする。
申請までの説明のほか、事業者の希望や従業員構成などを聞き取りながら、助成対象となる研修カリキュラムの作成支援も行う。
「(事業者のニーズに)オーダーメードで応えられるよう、私も勉強しました」と言い、この間、自腹で産業カウンセラーやキャリアコンサルタントの資格を取った。一度相談を受けた事業者から再び指名される機会も増えていったという。
数年前に父親が亡くなったときは、申請期日と重なったため、葬儀の日程を繰り延べた。コロナ禍で関連の事務作業が増えて夜間まで働いたときには、残業手当が払われなかったが、不満は口にしなかった。それ以上にやりがいと誇りを感じていたからだ。
仕事ぶりが認められ、毎月の手取り額は順調にアップ。最終的に25万円ほどになり、家賃3万円のエアコンなしのアパートから、6万円の物件に引っ越すことができたという。


















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