映画『国宝』のモデル? 作家・真山仁が語る「坂東玉三郎」という深淵。出会いは突然の「指名」、玉三郎からの食事の誘いを断ったことも…

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──そこから30年以上のつきあいが始まった。

はい。それから、彼の舞台を拝見するようになりましたし、食事にも誘っていただきました。東京に取材に行った時には、「朝ご飯食べにおいで」と。するとその日の新聞の朝刊の記事について鋭い質問がくるわけです。「この記事の意味はなに?」って。

報道カメラマン沢田教一を語る

―――『風を得て』のなかで玉三郎さんにはジャーナリズム精神があるとも書いてますね。

メディアやジャーナリズムというのはとても大事なんだ、ということを最初から言っていた。出会って5年近くたったころ、「沢田教一を知ってる?」と聞かれたことがあります。

──沢田教一はベトナム戦争を撮影した『安全への逃避』でピューリッツアー賞を受賞した報道カメラマンですよね。戦場取材中に銃撃され亡くなっています。

その沢田教一のドキュメンタリー映画が今、東京で上映されているから見たほうがいい、と言われて。「いや、ちょっと待ってくれませんか」と。私、そのときはまだ神戸在住の貧乏ライターですから。映画1本のために、新幹線の切符を買って、時間をやりくりするのかと。

――行ったんですか?

行きました。それで「こんな渋い映画、よく面白いって言いますね」と聞いたら、彼が言ったんです。「こういう仕事をしたかった」と。

沢田教一は戦場という現場にこだわり続けた人ですが、おそらく沢田の孤独が玉三郎には響くんだと思う。ドキュメンタリーを見た後、「あそこまで正しいことをして、なぜあんなに孤独なのかしら」と言っていた。で、続けて「あんたはどうする?」とくるわけですよ。

いや、そこで比べられてもね。ただ、私も新聞記者だったので、「ジャーナリズムって意地でやるもんじゃないと思う。淡々と、長く仕事を続ける、命を大事に続けるのが私は大切だと思います」と答えました。

玉三郎は「うん、わかるわ」と。 彼は生まれた時から世の中は全部灰色だって言った人です。だから、私とそうしたやり取りをしながら、社会とのバランスをとっていたのかもしれません。

──玉三郎さんにとって真山さんが必要だった?

私はいわば「道化」です。王様のそばにいて、世の中を紐解く「道化」。例えば、彼が新聞を読んで「なんでこんな記事になるの?」と疑問を持った時、私が「そこにはアメリカの思惑があって……」とか「スポンサーの事情で……」と裏側を解説する。

そうすると彼は「なるほどね」と納得して、自分の世界観と現代社会をリンクさせていく。そのために私がいたんだと思います。

(【後編:坂東玉三郎がこの30年、真山仁に語ってきたこと】に続く)

山崎 豪敏 東洋経済 顧問
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