映画『国宝』のモデル? 作家・真山仁が語る「坂東玉三郎」という深淵。出会いは突然の「指名」、玉三郎からの食事の誘いを断ったことも…

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──いきなり詰んだ、みたいな(笑)。

じゃあ普段は何を考えて生きているのか教えてください、と聞いたんです。そうしたら彼は、「平成の時代に生きている人間が、江戸の人間になりきる必要はない。私は現代の空気を吸っているんだから」と言って、急に戦争の話や国際情勢を語り始めました。新聞を隅から隅まで読んでいて、社会の動きにすごく詳しいんです。

そして唐突に「ファストフードはどう思う?」と尋ねてきた。 私が「便利だけど、日本古来のものじゃない。毎日食べるのは心配ですね」と答えた瞬間、彼のスイッチが入ったのがわかりました。

「心配なんてレベルじゃない」「あんなの食べたら人間終わるわよ」くらいの勢いでした。

「玉三郎の食事の誘いを断るなんて!」

──演目の話をするはずが、ファストフード論に(笑)。

その話だけで、あっという間に約束の30分が迫ってきた。私は焦って、「今日は『鏡獅子』と『隅田川』の取材なので、演目の説明は資料で書きますけど、ご本人の意気込みだけはください」と頼んだんです。

そうしたら「見たらわかる」と。「あなたの口から聞きたいんです」と食い下がって、なんとかコメントをもらいました。 そこで時間切れです。「ありがとうございました」と帰ろうとした。

そうしたら彼が「どうして帰るの」って。「まだ話しましょう」と言われて、そこから気づくと1時間半、話し込んでいました。 お弟子さんがやってきて「お食事の時間です」と。「一緒に食べよう」と誘われたんですが、断りました。「この後、名古屋で友人と会う約束があるから」と。

マネージャーは真っ青ですよ。「玉三郎の食事の誘いを断るなんて!」って。でも携帯電話のない時代でしたし、友人を待たせているからどうしても行かなきゃいけなかった。

本人は「引き止めてごめんね」と謝って、解放してくれました。ああ、これで縁も切れたかと思いきや、1年後にまた大阪の取材で指名されて、そのときも30分の予定が取材後に移動の車に同乗させられ、結局4時間ぐらいお話ししました。 私のどこがよかったのかわかりませんが、「あなたと話していると心地いい」と言われました。

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