「小1でまだオムツ?」子育て中の親を追い詰める"周囲の正義感"の意外な正体、「余計なお世話」には反論せず距離を保つ

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困っている人を助けたい。

社会の役に立ちたい。

間違っていることを正したい。

この正義感そのものは、実はとても尊いものです。しかし、それが、「相手についての無知」「自分の義務感・使命感」というフィルターを通った瞬間、形を変えます。

相手の事情や背景を知らないまま、「これはこうあるべき」と判断して口を出してしまうのです。あるいは、「言ってあげるのが大人の務めだ」と思い込んで注意してしまうこともあります。この状態になると、本人は「いいことをしている」つもりなのに、相手の心は削られていきます。

(1)無知がつくる誤解

あやさんの相談にも出てきた「オムツの話」は、典型的な例です。

「もう〇歳なのにまだ?」

これは“子ども全員が同じペースで育つ”という誤解から生まれた発言です。しかし実際の子どもの発達は千差万別。排泄の自立には身体的条件が必須で、環境要因や特性も影響します。つまり、「無知な正義感」が、「あなたの子育ては遅れている」という誤ったラベルを貼ってしまうのです。同じ構造はあらゆる場面で生じます。

宿題していない → 「怠けている」

泣いている → 「甘えている」

走り回る → 「しつけができていない」

背景を知らないまま“現象だけ”で判断すると、どれも間違った解釈になります。

「言うこと自体」が目的になることも

(2)義務感がつくる“上から目線”

「言ってあげなきゃいけない」

「注意するのは大人の務め」

こうした義務感は、一見立派に見えます。しかし、その根底には“自分が正しい側に立ちたい”という心理が潜んでいます。義務感が強くなるほど、相手への共感や理解よりも、「言うこと自体」が目的になってしまいます。これが、言われた側にとってはとても苦しいのです。

子育ての文脈でも同じです。

「将来困るから言わなきゃ」

「親として注意しないとダメ」

「これが正しい育て方だ」

こうした義務感が、親子関係をこじらせることも少なくありません。

(3)正義感を暴走させないための3つの視点

正義感を適切に扱うには次の3つが大切だと考えています。

①「私は本当に相手の立場を知っているか?」

誰かに何かを言いたくなったとき、まず自問してほしい問いです。「この人の背景を本当に知っているか?」「本人から事情を聞いたことがあるか?」

もし「NO」であれば、その時点で口を出す資格はないのです。近所の人は息子さんの日々の様子も、あなたの方針も、専門知識も知りません。だからこそ「余計なお世話」になってしまうのです。

②「相手のためか、自分の安心のためか?」

正義感の正体は、実は“心の不安”であることが少なくありません。

「言わないと落ち着かない」

「黙っていると自分が不安」

「自分が正しいと証明したい」

これらは、すべて“自己安心”のための発言である可能性があります。子育てでも多く見られるケースです。「宿題しなさい」と言う理由の多くは、子どものためではなく“親が安心したいから”です。

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