困っている人を助けたい。
社会の役に立ちたい。
間違っていることを正したい。
この正義感そのものは、実はとても尊いものです。しかし、それが、「相手についての無知」「自分の義務感・使命感」というフィルターを通った瞬間、形を変えます。
相手の事情や背景を知らないまま、「これはこうあるべき」と判断して口を出してしまうのです。あるいは、「言ってあげるのが大人の務めだ」と思い込んで注意してしまうこともあります。この状態になると、本人は「いいことをしている」つもりなのに、相手の心は削られていきます。
あやさんの相談にも出てきた「オムツの話」は、典型的な例です。
「もう〇歳なのにまだ?」
これは“子ども全員が同じペースで育つ”という誤解から生まれた発言です。しかし実際の子どもの発達は千差万別。排泄の自立には身体的条件が必須で、環境要因や特性も影響します。つまり、「無知な正義感」が、「あなたの子育ては遅れている」という誤ったラベルを貼ってしまうのです。同じ構造はあらゆる場面で生じます。
宿題していない → 「怠けている」
泣いている → 「甘えている」
走り回る → 「しつけができていない」
背景を知らないまま“現象だけ”で判断すると、どれも間違った解釈になります。
「言うこと自体」が目的になることも
「言ってあげなきゃいけない」
「注意するのは大人の務め」
こうした義務感は、一見立派に見えます。しかし、その根底には“自分が正しい側に立ちたい”という心理が潜んでいます。義務感が強くなるほど、相手への共感や理解よりも、「言うこと自体」が目的になってしまいます。これが、言われた側にとってはとても苦しいのです。
子育ての文脈でも同じです。
「将来困るから言わなきゃ」
「親として注意しないとダメ」
「これが正しい育て方だ」
こうした義務感が、親子関係をこじらせることも少なくありません。
正義感を適切に扱うには次の3つが大切だと考えています。
①「私は本当に相手の立場を知っているか?」
誰かに何かを言いたくなったとき、まず自問してほしい問いです。「この人の背景を本当に知っているか?」「本人から事情を聞いたことがあるか?」
もし「NO」であれば、その時点で口を出す資格はないのです。近所の人は息子さんの日々の様子も、あなたの方針も、専門知識も知りません。だからこそ「余計なお世話」になってしまうのです。
②「相手のためか、自分の安心のためか?」
正義感の正体は、実は“心の不安”であることが少なくありません。
「言わないと落ち着かない」
「黙っていると自分が不安」
「自分が正しいと証明したい」
これらは、すべて“自己安心”のための発言である可能性があります。子育てでも多く見られるケースです。「宿題しなさい」と言う理由の多くは、子どものためではなく“親が安心したいから”です。


















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