2位と1億円以上の差…「藤井聡太氏の凄み」プロ棋士のシビアな懐事情 「対局料の2割は20年後に払う!?」 かつての将棋界に実在したシステム
10人しかいないトップのA級棋士の固定給が、人によって違うが、だいたい11万円だった。将棋界はクラスによって、上から七掛けが基本だから、B級1組、B級2組、C級1組と七掛けを続けていくと、私のC級2組の2万8000円とだいたい合っている。
塾生時代一度、大山康晴名人(当時)が経理に来て「100万ほど用意しておいてね」と言っていたのを聞いたことがあった。
まだ少年だった私には何のことか分からなかったが、後で大山名人は賞金を一度にもらわず、ある部分を将棋連盟に預けていたことを知った。連盟の運営費が足りなくなることを心配してのことだった。
そんな時代のことだ。われわれ奨励会員から棋士になる条件があまりに厳しいからと、三段の先輩たちが理事会に団体交渉に行ったことがある。
しかし逆に「それなら四段への昇段者を年に3人から2人にする」と理事会に言われて、さらに新四段の枠を狭められてしまったのだった。そこまで将棋連盟の台所は切迫していたのである。
対局料の2割は20年たったら払う!?
私が棋士になった時代は、C級2組の対局料が棋戦により、5400円、6300円、7200円の三本立てだった。
しかしすべての対局料は満額はもらえず、積立金として1割ないし2割(降級点のあるB2以下)を連盟が預かり、後で払われるということになっていた。これも運営費に回すためだ。
積立金は20年たったら、利息をつけて戻ってくる制度で、毎年5%ずつ利息がつく。私が実際に20年後にもらうことになると、かなり大きな金額となっており、子どもの学費に大いに役立ったのだが。
しかし、一般社会で「給料の2割は20年たったら払う」などと言う会社はないであろう。
対局料はすべて、順位戦のクラスに準じた金額になっていた。森下卓九段などは「C2でいくら勝っても、兄弟子の野本虎次六段(当時B2、後に八段)の年収を超えられなかった」と嘆いていた。
当時の下位の棋士はほとんどが前借りをしていて、対局通知が来るとそれを経理に持って行って、対局料をもらっていた。
もっとひどいのは「○○戦のトーナメントの抽選はまだか。まだなら手伝うから今から抽選をやれ」と手合い係に言って、無理やり抽選をさせる棋士だ。トーナメント表ができると、それを持って「この対局の分をくれ」と経理に駆け込むのだ。


















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