清水:マンカウスキーさんは未来の人間をどう思い描いていますか?
人間は社会的能力や創造性を強化しなければならない
マンカウスキー:将来的には人間は社会的能力や創造性を強化しなければならないと思っています。自動運転車は万能ではなく、状況によっては判断ができなくなる時があります。たとえば、交差点において進行方向の信号は青なのに、交差点の真ん中に何かがあることを検知したら、自動運転車はどうしたらいいかわからなくなります。
こういう場面では自動運転システムが人間に、「交差点の真ん中にあるのは何ですか?」と問えばよく、人間は「交差点にケガ人がいる」「デモをやっている」などと答えることでしょう。それに対して車は「ケガ人を助けましょうか」「デモが通り過ぎるまで待ちますか」などのオプションを示します。人間は社会的な相互作用を踏まえて判断しますが、そのあとはハンドルを握るのではなく、再び車に運転を任せればいいのです。
清水:自動運転にはレベル0からレベル4、レベル5までありますが、レベル4のように完全自動運転になってもシステムが人間に問いかけるようなコミュニケーションは必要なのでしょうか。
(注)自動運転とは、「認知・判断・操作」というドライバーが行っている運転機能を機械に任せるというもの。米政府の国家道路交通安全局(NHTSA)が定義した内容を記載する。一応この定義が先進国の共通認識だ。
レベル1:自動ブレーキやクルーズコントロールのように部分的にコンピュータが介在する状態
レベル2:操舵(ハンドル機能)が複合的に加わった状態
レベル3:半自動運転。条件次第ではドライバーは監視義務から開放可
レベル4:完全自動運転
マンカウスキー:レベルの議論はまったく重要ではありません。レベル分けはエンジニアリングの視点で定められたもので、人間のそれではないからです。F015は車自体が外の世界に対して、自分が何をしようとしているのかを発信するように設計しています。たとえば、歩行者に対してアイコンタクトをしたり、ほかの車と通信したり、外部環境とコミュニケーションを取っています。
しかし、システムは人間と違います。自動運転車はあくまで機械であって、人間のようにモノを考えたり、自主的に何かをしたりしないということを理解すべきです。人間は人の心、行間を読みます。それがないと、この狭い社会ではいつもぶつかってしまうからです。でも、車は人間の心を読めません。そういう存在なのだと、人間のほうが認識しなければならないのです。
清水:AIが進化すれば行間を読むシステムも実現できるのではないでしょうか。
マンカウスキー:コンピュータがそこまで進化するとは思えません。確かに処理速度は上がっていますが、コンピュータの計算は依然としてステップ・バイ・ステップです。それに対して、人間の頭脳はまったく違うものです。人間の脳は意識と無意識が並行して処理されています。これはコンピュータではできないことで、ニューロ・サイエンス(神経科学)の世界では“無意識の意識(アンコンシャス・コンシャス)”と呼ばれています。
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