「非モテ男性をバカにしている」との声も…弱者男性をエンタメ化?「男磨きハウス」が物議を呼ぶ"真因"

✎ 1〜 ✎ 62 ✎ 63 ✎ 64 ✎ 65
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

通過儀礼のプロセスは「分離」「過渡」「再統合」の3つの段階から構成される。現在の状態からの「分離」、状態が定まっていない「過渡」、新しい状態への「再統合」である。文化人類学者のヴィクター・W・ターナーは、「過渡」の状態について、「境界にある人たちはこちらにもいないしそちらにもいない。かれらは法や伝統や慣習や儀礼によって指定され配列された地位のあいだのどっちつかずのところにいる」とし、それを「リミナリティ」(境界性)と呼んだ(『儀礼の過程』冨倉光雄訳、ちくま学芸文庫)。

メンズコーチ・ジョージさんのキャラクター、的確な指導も番組の魅力だ(画像は「ABEMA バラエティ【公式】」YouTubeのスクリーンショット)

ジョージによる10日間の徹底コーチング合宿は、まさにターナーが提唱した「リミナリティ」に当てはまる。わかりやすくいえば、以前の自分を脱ぎ捨てつつあるにもかかわらず、新しい自分はまだ何も始まっていない混乱の状態に投げ込まれているのだ。それは不安定な地位に置かれることであり、アイデンティティの危機ともいえる。

合宿では、これまでの俗世間から引きはがされ、禁止事項(スマホの使用禁止、嘘をつかないなどの5つの掟)と罰則が示される。彼らは白い繭のようなランニングシャツをまとい、数々の試練に甘んじなければならない。これもターナーの述べた「リミナリティ」の特徴をことごとく示している。

ターナーは、「境界にある存在、たとえばイニシエション儀礼や成女式儀礼の修練者(ネオファイト)たちは、無所有のものとして表象されることもある。かれらは一片の布を身にまとうだけの、ないしは全裸ですらある怪物を装い、(略)その行動は、通常、受動的であり謙虚である」と言う。

続けて「かれらは指導者に絶対服従し、文句もいわずにその気まぐれな懲罰を受けねばならない。かれらは、あたかも、新しく形づくられるためにおなじ条件に変えられすり減らされるかのようであり、また人生の新しい情況に自分を適応させる新しい力を授けられるかのようである」とも指摘している。

SNSで話題になった禁欲生活

そう、この合宿こそは、多くの部族社会に見られる長い隔離の期間をともなう通過儀礼をなぞっているのだ。SNS上ではとりわけ合宿中の「ポルノ禁止」「オナニー禁止」が話題になったが、ターナーによれば、「性欲の節制」は「リミナリティ」の諸属性に含まれており、「性的関係の回復は、通常、身分構造としての社会へ復帰することの儀礼的なしるしとなっている」と述べている。

この番組は、現代を生きる男性たちの自己啓発ニーズに根差したものだが、通過儀礼ニーズと重複している点が非常に重要だ。伝統社会の影響力が消失すると、当然ながら通過儀礼は衰退していく。ブレイクスルー体験がないまま成人を迎えることになる。そのため、自ら進んで通過儀礼による新しい自己の獲得を求める傾向が生じるのだ。

今アメリカでは、フィットネスクラブが代替宗教としての役割を果たしつつある。言語研究者でコミューン2世の作家、アマンダ・モンテルは、多くの若者たちが自分しか頼るもののない社会でフィットネスクラブを自己変革の場にしているという(『カルトのことば なぜ人は魅了され、狂信してしまうのか』青木音訳、白揚社)。

次ページ「男磨きハウス」はな社会潮流の1コマである
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事