──ただ一言、私に謝罪をして欲しい。もしそれができないなら、民事訴訟をして君個人に一千万円の損害賠償請求をする。民事裁判になれば、君はこの先に損害賠償の不安を抱えながら、何年もこの一件に関わることになる。たった一言でいい。私に謝罪をしてくれ。それで腹いせに痴漢をでっちあげたことも、虚偽の供述をしたことも、すべて水に流す。もう私が君の人生に関わることは一切ない。
ベッド脇の電話のベルが鳴り、直人はびくりと身体を震わせた。
「お連れ様がおいでです」
ドアのノック音が響く。ドアを開けると、見知らぬ男が立っている。池袋ミルクセーキの男性スタッフだという。男から簡単な説明を受けたのちに、料金を支払う。
「あの女」との再会
男と入れ替わりで、若い女が入室してきた。髪をアッシュグレイに染めた、化粧の濃い女──。女はこちらを一瞥したのちに、無言でショートブーツを脱いで部屋へ上がった。
加藤清美だ。
腫れぼったい一重瞼や、赤らんだ鼻頭、薄い唇。あのときと同じだ。電車の六両目のドア付近で向かいに立っていたあの女が、今、目の前にいる。
清美は荷物を無造作にソファーへ置くと、浴室へ向かった。バスタオルやらうがい薬やらの準備を始める。そして再び部屋へ戻ると言う。
「おっさん、なにぼうっとしてんの。六十分なんてすぐ過ぎちゃうよ」
清美は変装に気づいていない。ベッドの前に立ち、こちらへ背を向けて、おもむろに服を脱ぎ始める。あのときと同じ、煙草の吸い過ぎで掠れたような声。おっさん、痴漢したよね。一年前の電車内の光景がフラッシュバックする。
早春の眩い陽光、車窓の向こうを流れていくビル群、線路のレールが軋む音や、踏切の警報音まで聞こえてきそうだった。
あの時点では、私はまだトミタ商事の課長だったのだ。そして目の前にいるこの女に、私は平穏で平凡でゆえに幸福な人生を潰されたのだ。
だったら私だって、同じことをしてもいいんじゃないか。私だって、この女の人生を潰したっていいんじゃないか。
直人の両腕は、するすると女の細い首へ伸びていく。



















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