ニューヨークの死体調査官が容疑者に抱いた感情 「死体と話す NY死体調査官が見た5000の死」

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(写真:©2018 Bloomberg Finance LP)
NETFLIXドラマ「殺人事件ファイル:ニューヨーク」の原案となった死体調査官・バーバラ・ブッチャーによるノンフィクション『死体と話す NY死体調査官が見た5000の死』(河出書房新社)が反響を呼んでいる。
著者は2015年までの23年間、ニューヨーク市検視局に死体調査官(法医学調査官)として勤務。この間、殺人事件680人を含む5000人以上の死体を調査し、二重殺人、陰惨な自殺、未成年者のレイプ殺人など、さまざまな死因の調査に携わった。
著者が死体調査官となったきっかけは、自身のアルコール依存症。治療のために行った職業訓練で死体調査官という仕事に出会う。業務内容は、医学的知識のほか、調査や法医学の知識とスキルを持って現場検証を行い、死に至った原因を探ること。
シリアルキラー、孤独死、自殺、そして9・11——…アメリカで起こった数々の凶悪事件に立ち会った著者ならではの克明な記録『死体と話す NY死体調査官が見た5000の死』より、第11章「殺す者と殺される者」全文を特別に公開。
前回記事:「ニューヨークの死体調査官が目撃した悲惨な現場」

浮かび上がった容疑者

1991~98年にかけて、イースト・ハーレムの同じ地域で同じような暴行事件が少なくとも七件あり、そのすべてが一人の残忍な男と関係していた。被害者はみな前途有望な若い少女たちで、全員が乱暴にレイプされ、三人が残酷に殺されて無造作に捨てられた。なぜそれが新聞に掲載されなかったのか? なぜ市民に警戒するよう注意を呼びかけるか、大規模な捜査が必要だとの声が上がらなかったのか? ニューヨーク市住宅公団警察部がニューヨーク市警察に統合された時の混乱で忘れ去られてしまったのか〔この二つの組織は1995年に統合された〕? それだけでは、これらの事件が無関心に扱われた理由にならない。被害者たちの母親や父親は近所にポスターを貼って協力を求めたが、何も起きなかった。ドクター・ハーシュはいつも「わたしたちは遺族のために働いてるんだ」と言っていた。わたしは遺族の苦しみを和らげることも、少女たちを守ることもできなかった。わたしにできることは、犯人を特定するために証拠を集めること、そして見たことを証言することだけだった。だが、モンスターはまだ野放しの状態だった。

最初の暴行事件から8年後の1999年、警察はようやく似顔絵つきの指名手配ポスターを貼り、11000ドルという情けないほどわずかな賞金を提示した。侮辱的な金額だ。とはいえこのポスターのおかげで、25歳のアーロン・キーが容疑者として浮かび上がった。彼はパオラ・イエラと同じ建物に住んでいた。記録によると、最初の殺人事件が起きた1991年に彼は取り調べを受けたが、当時は別名を名乗っていた。内報者から、エース・キーという不気味な男がいると通報があったが、当時彼は母方のファミリーネームを名乗っていたのだ。この小さな違いのせいで、性犯罪者が公営住宅の肥沃な狩り場を自由に歩きまわることができた。

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