ニューヨークの死体調査官が容疑者に抱いた感情 「死体と話す NY死体調査官が見た5000の死」
1945年、ニューヨーク市は、スラム街を一掃して、低所得家庭に何千戸もの住宅を提供するには公営住宅がうってつけだと考え、巨大な高層ビルを建設し始めた。だが、公営住宅群は無機質で孤立していて、かつて彼らの社交の場だった近隣地域の生活から切り離されていた。予算が枯渇するにつれて住宅群は忘れ去られ、人手不足のニューヨーク市住宅公団警察部は、安全対策をほとんどおこなわなかった。ヘロインやクラックが蔓延した結果、公営住宅は犯罪者の温床になり、彼らは大っぴらに麻薬を売買し、弱者を暴行し、縄張り争いで撃ち合いをするようになった。そんな環境の中でアーロン・キーはのさばり、暗い階段を上り、人気のない廊下を走って家に帰ろうとする女子生徒たちの背後から忍び寄った。
新たな情報提供により、キーは再び警察による取り調べを受けたものの、確たる証拠がなかったため釈放された。指紋も目撃証言もなく、似顔絵と似ていただけだったからだ。だが警察は彼を監視し、しばらくして彼はパソコンのハードディスクを盗んだかどで逮捕された。刑事たちは彼を騙してDNAサンプルを提供させようとしたが、彼は拒んだ──自分はエホバの証人の信者で、宗教に反するから提供できないと反論して。警察は、この軽犯罪で収監中に彼が水を飲んだコップを回収して分析にまわした(テレビを見る人なら知っていると思うが、容疑者が捨てたものであれば、裁判所命令がなくてもそこからDNAサンプルを採取できるのだ)。彼のサンプルは、先に挙げたレイプ事件や殺害事件のDNAと一致した。8年におよぶ奮闘がようやく報われたのだ。
一度釈放されたあと、キーはブルックリンに住む15歳のアンジェリークを連れてフロリダへと逃れた。アンジェリークが言うには、キーはやさしくて、プレゼントを買ってくれたり、宿題を手伝ってくれたりしたという。キーを愛していて、結婚したいと思っていた。アンジェリークの両親が新聞でキーの記事を読み、警察に通報したことをきっかけにキーの逃亡が発覚した。その頃には新聞も彼に注目していて「野放しのシリアルキラー」と題する記事を掲載していたのだ。キーの別のガールフレンドが、二股をかけていた彼に腹を立て、警察に彼の居場所を教えた。彼は〈マイアミ・サン・ホテル〉の6階の安っぽい部屋で、ベッドの下に隠れていたところを発見されて逮捕された。
火を放つ前から被害者と電話のやり取り
キーの取り調べをおこなった刑事は、彼が自分の意見をきちんと言える頭の良い人間だと気づいた。身だしなみが良く、そこそこハンサムで、パソコンが得意でもあった。通話記録を調べたところ、ジョハリス・カストロに火を放つ何日も前から、キーが彼女と数十回も電話でやり取りしていたことがわかった。勉強を手伝うよと申し出たのだろうか? 彼女を無残に殺す前に、キーは彼女を虜にし、お世辞を言い、デートに誘ったのだろうか?
こんな事態が起きるまでの経緯が、わたしには予想がついた。ジョハリスと同じような年頃の時、わたしはバーで年上の男と出会った。あごのラインがくっきりとして、自信に満ちた大学生だった。彼はいろんな質問をしながら、笑みを浮かべ、わたしの腕にそっと触れ、わたしだけをじっと見ていた──肉食系の魅力といったところか。わたしには手の届かないような人だったので、彼が飲み物をおごってくれた時には驚いたぐらいだった。人気者の女の子たちがわたしにほほ笑みかけるのを見て、まるでわたしを仲間と認めてもらえたのだと錯覚したほどだ。そんなはずはないのに。なにしろわたしは年齢を偽り、ウィージャンズの模造品を履いていたのだから。心の奥底に漠然とした違和感があったが、それを脇へ押しやって、その瞬間を楽しんだ。
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