帰宅したら死んでいた猫、今も消えぬ喪失感。《韓国の人気エッセイが綴るペットとの暮らし》。いつかは別れの日が来るとわかっていてもーー

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元気だった子が、家を空けている間に急にこんなことになってしまったんです。これは一体どういうことなんでしょうか。

動物病院の受付係の困った顔、死んだ動物に病院でしてあげられることはないから、愛玩動物の葬儀場に行ってみてはという事務的な対応……。今思えば当然だ。頭のおかしい女に見えたかもしれない。

私は一体なぜ、そんなことをしたのだろう。なぜ、非理性的なお願いをしたのだろう。どうやら、ゴロの突然の死に納得し、受け入れることができなかったようだ。

元気だった頃のゴロ
(画像:『増補新版 女ふたり、暮らしています。』)

4年が過ぎても胸が張り裂けそうになる

4年が過ぎた今もゴロの死を思うと悲しく、何もしてやれなかった罪悪感に胸が張り裂けそうになる。ポッドキャスト番組「女ふたり、トークしています。」2周年にあたり公開放送をした時、質疑応答の時間にひとりのリスナーがこう聞いた。

「私も猫を2匹飼っているのですが、今年の初めに突然、2番目の子が猫の星へと旅立ちました。おふたりもゴロを亡くされた経験がおありですが、会いたい時はどうされているのか……」

最後は、むせび泣く声に埋もれてよく聞こえなかった。私が先に答えるしかなかった。泣き虫のキム・ハナは、すでに涙を流していたからだ。

「今も会いたくてたまりませんよ。一緒に暮らしていた家族の死というのは、実存していた体が消えてなくなることですから。人も、けむくじゃらの猫や犬も同じこと。その喪失は何年経っても受け入れがたいものです。

その実体が、今ここに一緒にいてくれたらいいのにという一心です。ゴロが恋しくてたまらない時は、ゴロの分までほかの猫たちを抱きしめます。もちろん、ゴロを抱きしめた時とは違う感覚です。人がひとりひとり違うように、4匹の猫の体格や毛の色、くせ、心も全部異なりますから」

ゴロが逝ってからしばらくは、家のあちこちで幻覚を見た。大きくて存在感があったからか、いないはずの子がそこに座っているような、幻の存在を何度も感じた。キッチンのシンクの隅に、玄関の脇に、浴槽の中に、シャワーカーテンを開けると突然、そこにゴロがいるような気がしてつらかった。

時が経ち、幻覚が消えた代わりにヨンベにゴロの姿を見るようになった。寝そべってグルーミングする時、腹ばいになって休む時のゴロの姿がヨンベに重なる。ヨンベが年を取り、前よりも肉づきがよくなったせいもあるだろうけど、私の心の問題が大きいのではないかと思う。

家のあちこちで、ほかの猫たちから、散歩している犬から、流れる雲や草むらに咲いた花からもゴロの姿を見つけてしまうのは結局、恋しい気持ちのせいだろう。そんな時は悲しくもあるけれど、ゴロがずっと私たちの近くにいてくれるような気がして心が温かくなり、安心感を覚える。

ゴロとの思い出
(画像:『増補新版 女ふたり、暮らしています。』)
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