帰宅したら死んでいた猫、今も消えぬ喪失感。《韓国の人気エッセイが綴るペットとの暮らし》。いつかは別れの日が来るとわかっていてもーー

✎ 1 ✎ 2
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

老猫と暮らしていくということは、このように私の時間と努力をけむくじゃらの小さな家族に喜んで差し出すことだ。

一緒に暮らして8年。キム・ハナと私も40代後半の中年になる間に、猫の家族たちも急速に年を取った。

ハクは18歳、ティガーは15歳、末っ子のヨンベは13歳。人間の年で言えば70代、80代のおばあさんだ。猫たちが年を取って病気になってしまったというと、周りの人は心の底からかわいそうにと言って心配してくれる。

特に、海外旅行の予定はないのかという質問に答える時がそうだ。ハクは、毎日50ミリの点滴を打ってあげないといけないのだが、それを友達に任せるのは難しく、ふたりが同時に1泊2日以上、家を空けることはできないのだと事情を話すと、本当に大変だねという反応が返ってくる。

この経験がなければ私も、猫も飼い主も気の毒だなぐらいにしか思わなかっただろう。病気の猫と一緒に暮らす中にも喜びがあり、笑いがあるということを知らずに。

末っ子のヨンベは喘息を持っている。片時もじっとしていない子供を抱っこし、咳止めの薬を吸い込ませるようにヨンベの鼻に吸入器を当てて静かに待つ時間は、私なりに平和と充足感を覚える。

突然、死んでしまったゴロ

こんなふうに猫の面倒を見ることに幸せを感じるのは、2番目の猫、ゴロが突然、この世からいなくなってしまったからかもしれない。ゴロの死は、キム・ハナと私が一緒に暮らす中で経験した最もつらい出来事だった。

出張から戻ってきて、会いたかった猫たちを1匹ずつ順番に抱きしめるんだと思いながら玄関のドアを開けたら、その中の1匹が死んでいるのを発見する確率はどれぐらいだろうか。

ネコとの暮らし
(画像:『増補新版 女ふたり、暮らしています。』)

すでに息が止まり、体が硬直したゴロを見つけた直後から何時間かの記憶は、涙にまぎれて途切れ途切れだ。

前日の夜、近所の友達が猫たちにごはんをあげに行った時は、いつもと変わらなかったという。硬くなったゴロの体をタオルで包んで抱き上げ、近所にある24時間診療の動物病院に駆け込んだ。

もともと大きくて重かったけれど、進行する死後硬直のせいで抱いている腕が張ってきてぶるぶる震えた。すでに命は消えていて、生き返らせることはできないのに私は、死因を知るために解剖をしてもらうことはできないかと泣きながら聞いた。

次ページ死を受け入れられず深い悲しみにくれた日々
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事