なぜ秀吉は"勝てる戦い"を放棄した?敗北した「朝鮮出兵」で封印したプロパガンダと間接侵略という2つの戦略

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朝鮮では李氏朝鮮があまりにもひどい圧政を敷いていたので、民衆がやってきた日本軍を解放軍だと思っているのに、なぜそれを生かさないのかまったく理解できません。

講和の条件で朝鮮をもらうぐらいは難なくできたはずです。なのに、なぜしなかったのか。これは秀吉1人のみに帰する責任です。

いつもの秀吉戦法で戦えば、「一大海洋国家の誕生!」となったはずなのにそして皆、やる気がないのです。

日本軍は落とした城に籠って「敵が強いので、大変です」と“逆大本営発表”をする始末。それなのに、味方が本当にピンチに陥ったら、島津軍が20倍の敵を撃破する、そんな冗談のような戦いをしているのも、本気になっていない証拠です。

仮に朝鮮出兵が成功していたら、朝鮮半島はもちろん、北京あたりから寧波まで行けば、黄海は日本の海です。一大海洋国家の誕生です。

その後は、あぶれた海賊を世界に差し向ければ、大航海時代の波に乗れた可能性は大いにありました。タイで活躍した山田長政のような武士を世界中に派遣すれば、日本はスペインの無敵艦隊やイングランドのドレイク船長を凌駕する、海洋国家です。

しかし現実には、秀吉の掛け声に誰もついてきていないのです。

それにしても、なぜ朝鮮出兵の先鋒と二番手にわざわざ、仲の悪い小西行長と加藤清正を選んだのか。徳川家康と小早川隆景でいいではないかと言いたくなります。

加藤清正朝鮮陣書状(1594年)
加藤清正朝鮮陣書状(1594年)(パブリック・ドメイン)

犬猿の仲の2人を起用

小西と加藤の2人は実際よくやっていて、並み居る武将たちが皆、彼らに従っているのですから、なおさらのこと、わざわざ犬猿の仲の2人を同時に起用するのかが腑に落ちません。

ちなみに、秀吉の軍師として知られる黒田官兵衛ですが、なぜこれほどまでにと思うくらい信用されていません。優秀だけど、やはりあからさまに寝首を掻く気満々な油断のならない奴といった扱いです。加藤清正が官兵衛の上司だったのも、どうかしている人事です。

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