「源内先生は生きている」大河【べらぼう】平賀源内以外にもあった"生存説"語られる偉人の共通点

✎ 1〜 ✎ 44 ✎ 45 ✎ 46 ✎ 47
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
祈りをささげる人たち
(写真:mrmohock / PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物や、蔦重が手がけた出版物にスポットライトがあたっている。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第47回は、平賀源内と同じく生存説がささやかれた偉人たちについて解説する。
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。

何もかもうまくいかなかった源内の鬱屈

「獄中で死んだはずの平賀源内が実は生きている」

そんな噂を耳にした蔦重が、様々なキーパーソンのもとを訪れる。NHK大河ドラマ「べらぼう」では、そんな展開が話題となった。

「源内生存説」は実際にもあった。源内はパトロンだった田沼意次の計らいによって、ひそかに出獄し、意次の領地だった遠州・相良にかくまわれて医師として生涯をまっとうした……明治初期に儒学者・東条琴台がまとめた『先哲叢談続編』など、そんな噂があちこちで流れたようだ。

突飛な発想で様々なジャンルで活躍した源内だったが、鉱山事業の失敗などにより、いつの間にか経済的な苦境に立たされた。エレキテルの発明も源内が期待したような、医学的効果は発揮できず、見世物として終わる。

精神的に追い詰められるなかで、自分の誤解から殺傷事件を犯してしまった源内。獄中で破傷風によって死亡している。

そんな源内の死に方があまりに意外なかたちだったからだろう。「源内先生がこんなかたちで呆気なく、突然に亡くなるなんて……」という人々の驚きと失望が「生存説」を生み出すことになった。

次ページ生存説が噂された歴史人物といえば…
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事