転機となったのは、焼き牛丼チェーン「東京チカラめし」の買収交渉だった。かつて130店舗を誇った同ブランドは急速に店舗を閉鎖していた。川島氏は「今残っているのは立地の良い店だけだ」と見抜く。
「外食店が減るときは、まず悪い立地から消えていきます。残っていたのは、一等地ばかりだったんです。業態を変えれば絶対に蘇ると確信しました」
「壱角家」×「町田商店」のタッグで急成長
当時、横浜家系ラーメンの人気が高まってきてはいたが、都心の駅前に本格的な家系チェーンはほとんど存在しなかった。
そこで、牛丼店の厨房設備を流用し、わずか300万円の改装でラーメン店に転換。半年で30〜40店舗が「壱角家」に生まれ変わった。新宿アルタ裏の1号店はオープン直後から行列を作り、業界に衝撃を与えた。
そんな「壱角家」の急成長を支えたのが、「町田商店」で知られる株式会社ギフトホールディングスとの提携だ。
当時ギフトは創業間もないベンチャーで、直営は10店舗にも満たなかった。ガーデンは出店スピードとM&Aでの拡大を得意とし、ギフトはスープ開発と家系ブランド構築に強みを持っていた。
「ラーメンの世界は、スープと麺の相性がすべて。素人が数年でできるものではない。だからこそ“餅は餅屋”なんです」



















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