「会社を休むことに罪悪感」6割という調査結果、最も多かったのは"意外な世代"…。日本人はなぜ休みを取らないのか【罪悪感チェック診断付き】

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【診断結果】
●25点以上:重度の罪悪感を抱えています。自分を犠牲にして働こうという思いが強く、人の分まで頑張っているのではないですか? このままだと、バーンアウトやうつ状態に陥るかもしれません。身体的疾患のリスクもあります。
●15~24点:中度の罪悪感です。時と場合により罪悪感の感じ方が変わります。まったく休めないわけではないですが、人の目を気にして無理することも多いはず。
慢性的にストレスを抱えやすい傾向があります。
●5~14点:軽度の罪悪感、平均的なレベルです。多忙なときや人手が足りないときなどにうしろめたさを感じますが、本当に休みたいときや疲れたときには休むことができます。
●0~4点:ほぼ罪悪感なし。ときどき心苦しくなることはあるものの、適切に休暇を取れる人です。休暇を当然の権利と認識し、上手に休むことができていることでしょう。職場の休暇推進リーダーとしてぜひ活躍してください。

休むことを阻む「内的要因」

なぜ、私たちはこんなにも休むことに罪悪感を持ってしまったのでしょうか。その要因の1つは、江戸時代から連綿と続くまじめな国民性にあります。

江戸時代、農業を中心とする社会構造の中で、人々は年貢を納めるために懸命に働いていました。

「働かざる者食うべからず」という価値観が生まれたのはこの頃のことです。同時に、「お天道様が見ている」という道徳観も確立され、「サボればバチが当たる、誰も見ていなくても一生懸命働くことが美徳である」という思想が定着したとされています。

明治期以降、近代化・産業化の中で「勤勉」や「我慢」は国家の発展に寄与するとされ、教育や労働現場においてもその精神は強化されていきます。働くことは善であり、個人の幸福よりも生産のための労働が正義だとされる価値観が植え付けられていきました。「お国のために」皆が必死に働いていたのです。

この「同調と自己犠牲」の精神は、以降も引き継がれます。「お天道様が見ている」が、「上司・会社が見ている」に置き換わり、自己犠牲的な勤労精神が定着したのです。

高度経済成長期には「モーレツ社員」という言葉が登場し、長時間労働があたりまえになります。

さらにバブル期には「24時間戦えますか?」という言葉が生まれました。出世や高い収入を得ることが成功であるとみなされ、休日出勤や徹夜を嬉々として行っている人も多く存在しました。

このように、まじめさを武器に、自分を犠牲にしてがむしゃらに働くことで日本は経済発展を遂げてきました。この成功体験が、「休まないこと」を美徳とする風潮を助長しました。

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