「継ぐのは私じゃダメなの?」ーー。幼い頃の疑問を乗り越え4代目になった彼女、「ガッツマン」を武器に下請け依存を脱却した手腕
機械の音が鳴り響く中で靴下が作られていく様子を眺めながら、美奈子さんは「うちの会社は靴下屋さんなんや。こんな仕事があるんや」と理解した。
当時、社長を務めていた祖父は、美奈子さんにとても優しかった。ただ一つ、昔からよくこのように言われた。
「将来は、うちの会社を継げる婿養子をもらうんやで」
この言葉は幼い美奈子さんの心に複雑な感情を残した。「なぜ婿養子なのか?」「自分ではいけないのか?」という疑問は、彼女の心の中でくすぶり続けた。
その疑問を直接口にすることはなかったものの、美奈子さんは「もし自分にその能力があるのなら、性別に関係なく自らの力で家業を継ぎたい」という強い思いを抱くようになったという。
仕事を辞めて家業を手伝うことを決意
家業に戻る前の美奈子さんは、大手菓子卸商社で約4年半、営業職として勤務していた。その会社は菓子卸業界で大きなシェアを占め、メーカーから仕入れたお菓子を全国のスーパーへ流通させていた。
仕事は順調だった一方、自身のキャリアをどうするか、深く考えるようにもなっていた。その矢先、家業の得意先だった大手衣料メーカーが経営統合するという噂を聞いた。そのことを父・亮滋さんに伝えたところ、「OEM生産の注文が海外の工場に流れて、仕事が減っている」と打ち明けられた。
これを聞いた美奈子さんは、家業の経営が最も厳しい状態にある2015年、戻ることを決意。「家業で何ができるかは分からなかったですけど、前職を辞めて、実家に戻ってくるタイミングとしては今しかないと思ったんです」と振り返る。



















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