『マツコの知らない世界』でも注目、ラーメン日本一を争う山形・新潟の「ラーメン文化」が奥深すぎる! ラーメン消費額で常に上位も"納得の理由"

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その象徴的存在とも言える店が、言うまでもなく『龍上海』だ。味噌スープに真っ赤な辛味噌を溶かしながら食べる独創的なスタイルは、1996年の新横浜ラーメン博物館への出店を機に全国に知られるようになった。観光客がラー博でその味に触れ、現地を訪れる──地方発の文化を全国へ押し上げた先駆的モデルである。

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ファンも多い『龍上海』の「赤湯からみそラーメン」。真ん中に載った辛味噌が特徴(筆者撮影)

そして近年は、老舗の勢いに追随するように次々とスターが生まれている。新庄市の『新旬屋』などは、鶏中華を進化させた「金の鶏中華」を引っ提げ、全国のラーメンイベントで山形ラーメンの魅力を発信し続けている。歴史ある老舗と新進気鋭の店がともに存在感を放つのは、文化が生きている証拠だ。伝統と革新が共存する土壌こそ、山形のラーメン文化を強靭にしている。

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『新旬屋』の「金の鶏中華」は、その名のとおりスープも黄金色!(筆者撮影)

新潟ラーメンに多様な味が共存するワケは?

対する新潟もまた、ラーメン文化の層の厚さでは引けを取らない。県内には「新潟五大ラーメン」と呼ばれる多彩な系譜が存在する。長岡の「生姜醤油」、新潟市の「あっさり醤油」、『東横』をはじめとする「濃厚味噌」、燕三条の「背脂煮干」、そして三条の「カレーラーメン」。

これほど多様な味が一県内に共存するのは、新潟が南北に長く、地域ごとに食文化が独立して発展してきたからである。冬の厳寒を支えるための背脂文化、雪国らしい保存食としての味噌など、いずれも生活に根ざした合理的な必然から生まれている。

新潟ラーメンの全国的認知を押し上げたのは、地元発の人気店の東京進出だった。燕三条系の『らーめん 潤』は2005年に東京・蒲田に進出し、背脂煮干のパンチあるスープで一躍話題を呼んだ。続いて長岡生姜醤油ラーメンのパイオニア『青島食堂』が2009年に秋葉原に出店し、行列必至の人気店となった。

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『らーめん 潤』が誇る背脂煮干のスープは、一面に背脂がたっぷり(筆者撮影)
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