インドの安宿で受け取った「薬」がよく効いた理由。出会ったばかりの韓国青年はなぜ大事な薬をくれたのか? 分断の時代に思い出す「旅の1コマ」

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バラナシの安宿で、あの青年と何度か散歩をし、疎い英語で会話を交わした。その時点で、私は彼にとって「ウリ」になっていたのだろう。同じアジア人、同じ旅人、そして同じ安宿に泊まる仲間として。だから、母親が持たせてくれた大切な薬を、迷いなく差し出してくれた。

このウリ意識は、その内側に入ればものすごく心強い。ただ、裏を返せばウリの内側にいる者には限りない優しさを注ぐが、外側の者には冷たく接することにもつながる。韓国社会の強い結束力と同時に、排他性も、このウリ意識から生まれているように思う。

国境や言語を超えて人々を結びつけるもの

今、世界では「境界線」が引き直されている。

世界全体を「ウリ」とするのがグローバリズムの理想だったが、近年、その流れは大きく揺らぎ、日本を含む各国でナショナリズムが台頭してきた。世界は再び、国家単位で境界線を引き直そうとしている。

だが、バラナシの安宿では、国境も言語も関係なかった。そこには、別の「ウリ」があった。旅人という「ウリ」だ。

世界中から集まった若者たちは、それぞれの国では見知らぬ他人だった。しかし、同じ安宿に泊まり、同じように現地の文化に戸惑い、感動し、同じように次の目的地を探していた。その共通体験が、新しい境界線をつくった。国籍ではなく、「旅をしている」という状態が、ウリを形成した。

韓国人の青年が私に薬を渡したとき、彼は困っている私を「自分と同じような旅人」として見ていたのだと思う。そして「もし僕が困ったら、その時は誰かが助けてくれるさ」という言葉には、国境を越えた助け合いの連鎖への信頼があった。

世界が再び内向きになり、境界線を強固にしようとしている今だからこそ、あの安宿での出来事を思い出す。国家という境界線とは別に、人と人が作る「ウリ」がある。それは時に、国境よりも強く、深い絆を生む。

ウリという感覚は、おそらく国家か世界全体(グローバル)かという二者択一ではない。旅人、生活者、親といった属性はもちろん、同じ夢を追う者、同じ痛みを知る者など、何かしらの共通点や価値観をベースに連帯できる可能性を示している。

国家の境界線が強固になればなるほど、私たちは別の「ウリ」を見つけ出す必要がある。そのヒントは、もしかしたら、1泊500円の安宿の懇談スペースにあったのかもしれない。

境界線は、地図の上にあるのではなく、私たちの心の中にある。

泉 秀一 ノンフィクションライター

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いずみ・ひでかず / Hidekazu Izumi

2013年に関西大学社会学部卒業後、ダイヤモンド社入社。週刊ダイヤモンド編集部を経てNews Picksへ。副編集長、編集長を経て24年春に独立。著書に「世襲と経営 サントリー佐治信忠の信念」(文藝春秋)

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