文化11(1814)年、48歳のときから『南総里見八犬伝』の刊行をスタート。途中で失明しながらも、実に28年もかけて完成させている。
鼻っ柱の強さも京伝に気に入られた?
名を高めたのちには、無名作者から自分自身まで論評した『近世物之本江戸作者部類』を刊行し、そのなかで馬琴は「京伝 馬琴の外に潤筆を受る作者はなかりしに」と書いている。「戯作者の社会的地位を向上させた功績者は、自分と京伝だけだ」という自負を語っているのだ。
恩人である京伝に対抗意識もしばしば燃やすなど、鼻っ柱が強いところが馬琴にはあった。そんな生意気なところも、京伝は嫌いではなかったのではないだろうか。
【参考文献】
山東京山著「山東京伝一代記」『続燕石十種 第2巻』(中央公論社)
高田衛著『滝沢馬琴 百年以後の知音を俟つ』(ミネルヴァ書房)
鈴木俊幸著『蔦屋重三郎』(平凡社新書)
曲亭馬琴著、徳田武校注『近世物之本江戸作者部類』(岩波文庫)
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