人気アナウンサーから"何でもない私"へ…大橋マキさん(48)が花形職業をたった2年で退職。選んだのは"ケアをする"という生き方《前編》

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――シニア世代の活躍の場づくりでもあるんですね。

そうですね。引退後も皆さん、豊かな経験や個性をお持ちです。それを持ち寄って一緒に何かできたら、お互いに刺激や学びもあり、日々も人生も豊かになるかなと。何より、みんなが肩書を脱いで、「ただのご近所さん」として会える場所を作りたかったんです。

――人生100年時代ですし、そういった場所やコミュニティは、ますます必要ですよね。

そう思います。でも現状、そういう場は意外と少ない。ないなら作ろうと思ったのがきっかけです。「はっぷ」は10年以上活動していますが、社団法人としては2018年に設立しました。

アナウンサー時代の「違和感」について(写真:今井康一撮影)

アナウンサー時代の「違和感」

――大橋さんといえば、フジテレビのアナウンサーとして活躍していた印象が強いのですが、まったく違う道を歩まれていることに驚きました。

もう25年も前のことですが、覚えていてくださる方も多くてありがたいです。ただ、フジテレビに在籍していたのは、2年間と短かったんです。今振り返ってみると、無知だからこその無謀な行動だったなとも思います。

新人として恵まれた環境で、貴重な出会いや経験もたくさんありました。それでも、やはり、当時の私にとってテレビのお仕事には、大きな違和感があって。

――どんな違和感ですか?

自分の足で歩けていない心地悪さ、でしょうか。

誰かに何かを伝える仕事をしたいとアナウンサーになったのに、当時の自分には知識や経験も足りず、自分が腹落ちしたうえで言葉を伝えることができませんでした。

スタジオで強いライトを浴びて、テレビで言葉を発しているものの、実際は皆さんが担いでくださるお神輿に乗っているだけ。そんな状況に自分の力ではどうにもならない焦りを感じていました。

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