損な役回り? 私が「管理職」を目指した2つの理由 岡田 武史 ×工藤 勇一が語る新しい時代のリーダー像
工藤:30代後半、37、38歳の平教員の時だったと思います。当時、僕はとても荒れた学校にいました。その時、2つの理由から校長になろうと思ったのです。
1つめの理由は、荒れた学校を平の教員が変えるには、学年主任、教頭、校長と上を動かしていかなくてはいけなかったためです。実際に多くのことを働きかけましたが、とにかくとても手間がかかります。だったら、「校長になって自分でやろう!」と、そう思いました。
2つめの理由は、「このままリーダーを目指さなかったら、校長になろうと思わなかったら、50歳になった時、どうなっているんだろう」と想像した時、40代で校長になる人もいる中、50歳の一教員として自分より若い人間に使われる。それ自体はかまわない。
でも、「この人にはとてもじゃないけどついて行けない」と感じる人がリーダーだったらどうだろう、と考えたからです。
リスペクトできない上司の下で働けるか
岡田:たしかにリスペクトできない上司、リーダーはいますよね。
工藤:そういう校長の下でしっかり働けるだろうかと想像した時、「自分には無理だ」と思ったのです。
自分がリーダーであれば自分の責任ですが、尊敬できない人間がリーダーをやっていて、そのマネジメントに従って何かをやらなければいけないとなったら、僕は「あの人はおかしい」と文句ばかり言っている側になってしまうかもしれない。その自分はあまりにもカッコ悪い。そう思ったのです。
37歳当時、僕の2人の息子は中学生と小学生。彼らに「お父さんは学校から帰ってくると仕事の文句ばっかり言ってる」と思われてしまうのは絶対にイヤでした。父親としてとてもカッコ悪い。息子たちに誇れる父親でいたかった。
岡田:その気持ち、わかります。人は愚痴や不満を聞いても元気にはなれませんからね。僕も、自分がどんなにつらい目にあっても、家庭を暗くしたくなかった。家族は明るく幸せであってほしいですよね。
工藤:ビジネスパーソンの生き方として、リーダーの文句を言うより、自分がリーダーとして文句を言われる方がまだいい。自分の思うことをきちんとやり、その責任を取れる仕事をやりたい。それが「校長になろう」と思った時の正直な気持ちです。
今の若い人たち、この調査に答えた20代、30代の働く人たちがどういう日々を過ごしているか、僕にははっきりとは分かりませんが、もう少し年齢を重ねて40代、50代になっていくと「人生は一度しかないんだ」という思いが強くなっていきます。
僕より3歳年上の岡田さんが次々と新しい挑戦を続けているのを見ていると、自分が少し恥ずかしくなります。僕もまだまだ「こんなもんじゃダメだ」と勇気をもらっています。
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