「へにょへにょテニス」で世界に衝撃、大坂なおみも絶賛する女子テニス界・異色の新星《伊藤あおい》は何がスゴいのか

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どのスポーツでも、技術や戦術には一定のセオリーがある。小中高と競技を続ける過程で、セオリーを無視したフォームやプレーは、その時々の指導者に「矯正」されるのが常なのだ。

そのことを尋ねると、目の前の彼女はあっさりと答えた。

「私、我が強くて。ぜんぜん人の言うことを聞かないんです」

小学生の頃
小学生の頃の伊藤選手(写真:伊藤あおい選手提供)

4歳でラケットを握り、名古屋市内の名門テニススクールに通いながら腕を磨いた伊藤選手。しかし、コーチの言うことを聞かなかったので、よく練習を追い出されていたという。「そのときはクラブハウスでずっと漫画を読んでいました」。

中学3年生で全国中学生テニス選手権大会を制し、東京の通信制高校に進学。同校ではテニススクールと提携し、トップジュニアを指導する練習環境が整っていた。ところが、入学して2カ月後、“事件”は起こる。

「コーチが熱血指導タイプで、根性論を重んじる人だったんです。コートでやたらと振り回したり、誰かがミスをしたら連帯責任で走らされたり……。『なんでほかの人のミスで走らなきゃいけないんだ』と納得いかずに無視していたら、2カ月で追い出されてしまいました」

“出る杭”を支え抜いた両親の覚悟

大人たちとたびたび衝突しては「規律を乱す」存在とみなされ、排除される。そんな彼女を支えたのが、両親の存在だった。

その後は父・時義さんと二人三脚で、独自の練習を続けた。21年、高校2年生で出場したインターハイで準優勝。プロに転向した翌22年の全日本テニス選手権ではベスト4に進出するなど、「結果」で周囲を黙らせてきた。

「永久反抗期なので(笑)、父の言うことすら聞き流していました。でも、それで結果が出たので、いつしか誰も文句を言わなくなりました」

あくまで自分が「これだ」と思ったプレーにこだわり、周囲から叩かれようが“出る杭”を貫き通す。その「我の強さ」と、娘を信じた両親の覚悟が、誰とも似ていない独特のプレースタイルを確立したのだ。

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