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フランス革命の象徴「断頭台"ギロチン"」は、本当に「人道的な処刑方法」だったのか?残酷な歴史から学ぶ「人権」と「フランス革命」の悲劇

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  • 馬場 晴美 市川中学校・市川高等学校教諭(世界史)
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フランス革命の恐怖政治の時代に処刑された人々の中には、「質量保存の法則」を発見した科学者ラボワジェや、フランスの女流劇作家オランプ・ド・グージュがいます。

グージュは、フランス人権宣言の「人間」には、女性が含まれていないと指摘した人物です。そして「人権宣言」の条文をなぞる形で、1791年に「女性および女性市民の権利宣言」を発表しました。

しかし、彼女の主張は世間に受け入れられず、女性の政治参加が認められることはありませんでした。

それどころか、ロベスピエールを批判したことを反革命的とみなされ、1793年にギロチンで処刑されます。彼女の死後、「平等」を掲げたはずのロベスピエールは、女性の結社禁止令を定めました。

ロベスピエールの「恐怖政治」の"皮肉な結末"

ロベスピエールのこうした恐怖政治は、やがて皮肉な結末で終焉を迎えることになります。1794年7月、反ロベスピエール派が結集したクーデタの結果、ロベスピエール自身が逮捕され、その翌日に裁判もなしでギロチンによって処刑されたのです。

実は、ギロチンの導入をめぐって議論されていた1791年には、死刑そのものを廃止するという論議も国民議会では出ていました。その死刑廃止の第一人者が、ほかならぬロベスピエールでした。

フランス革命初期から人権に高い関心をもち、死刑廃止を訴えていたロベスピエール。その彼が、なぜ恐怖政治を行い、多くの人の命を次々と奪っていったのか。

これらの歴史は、自らの正義を貫くことの怖さだけでなく、次々と処刑することができる「ギロチン」は果たして本当に“人道的”であったのかなど、「多くの問い」を私たちに教えてくれているものといえるでしょう。

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