フランス革命の象徴「断頭台"ギロチン"」は、本当に「人道的な処刑方法」だったのか?残酷な歴史から学ぶ「人権」と「フランス革命」の悲劇
革命以前のフランスでは、死刑の際、平民は絞首刑、貴族は剣を用いた斬首刑とするのが一般的でした。しかし、剣による斬首刑では一度で死に至ることが少ないなど、どちらの刑も息絶えるまでに激しい苦痛がともなうものでした。
また、絞首刑・斬首刑のほかに、「八つ裂きの刑」「車裂きの刑」など、とても残忍な処刑も行われていました。
そこで、人権宣言の発布を受けて、即死できて、貴族にも平民にも平等で、かつ人権に配慮した死刑の方法として提案されたのが、「ギロチン」という名で後に呼ばれるようになった「断頭台」だったのです。
50年前まで死刑に使われていた「ギロチン」
断頭台を推奨したのは、医学博士であり、国民議会の議員だったジョセフ=ギヨタン(英語呼びで「ギロチン」)でした。
断頭台は、2本の柱の間に斜め状の刃を吊り、その下に受刑者を寝かせて、刃が落下する勢いで首を斬るという仕組みです。これによって、失敗なく一瞬にして首を落とすことができました。つまり、受刑者の苦痛が少ない“人道的”な処刑方法だったというわけです。
断頭台は1792年にフランスで正式な処刑方法として採用され、その後はフランス植民地だったベトナムやアルジェリア、ドイツやベルギーなどでも用いられました。
ちなみにギロチンは、フランス・ドイツ・ベルギーでは、のちに国内で死刑制度が廃止されるまで使用されていました。フランスで死刑制度が廃止されたのは、1981年のことです。つまり、20世紀までギロチンは使われていたというわけです。

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