フランス革命の象徴「断頭台"ギロチン"」は、本当に「人道的な処刑方法」だったのか?残酷な歴史から学ぶ「人権」と「フランス革命」の悲劇
パリ五輪の「生首」演出は衝撃的で、さすがに国内外で賛否が分かれました。しかしこの演出によって、多くの人々の血が流れたフランス革命を、フランス人が今も誇りに思っていることが世界中に伝わったのも事実です。
ではなぜ、フランス革命が誇りなのか。それは、フランス革命によって彼らが「人権」を確立したからです。
「人権」が意識されたからこそ考案された「ギロチン」
フランス革命は、1789年7月に勃発しました。民衆がバスティーユ牢獄を襲撃したのをきっかけに、革命は全国に広がります。
そして翌月、国民議会が「フランス人権宣言」(正式名称は「人および市民の権利の宣言」)を採択し、身分制の打破が目指されるとともに、法の下の平等などの「基本的人権」、「国民主権」など、革命の理念が表明されました。
「フランス人権宣言」には、
第1条 人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する
第3条 あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する
と書かれています。
そのため、フランス革命は「近代市民社会の出発点」といわれています。
実はギロチンは、このフランス人権宣言を機に生まれたものだといえるのです。
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