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老中就任からわずか6年…松平定信に異を唱えて解任に動いた「側近」の意外な正体

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  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)
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そんな定信の意見に真っ向から反対したのが、松平定信の政務を支えていた、老中格の本多忠籌(ほんだ ただかず)である。ロシアの狙いはあくまでも領土拡大であり、アイヌと対立したままだと、ロシアにつけ入る隙を与えてしまうと、忠籌は危機感を持ったようだ。

忠籌は、アイヌとの交易に幕府の役人が介入することで、松前藩や請負商人による不公平な交易を正す「御救(おんすくい)貿易」を提案。かつて意次が考えたように、蝦夷地を幕府の直轄地とし、アイヌとの関係性を構築しながら、蝦夷地の開発を進めるべきだとした。

定信を支えた本多忠籌の意外な行動

松平定信は、自身がまだ白河藩主だった頃に、陸奥泉藩主の本多忠籌と出会った。忠籌のほうが19歳年上だったが、よほど気が合ったのだろう。その後も親交を深めていき、定信が老中になると、忠籌も若年寄、そして老中格と出世していく。

定信の右腕として「寛政の改革」に加わった側近だけに、その意見には重みがあったに違いない。また、忠籌だけではなく、勘定奉行など蝦夷地問題に関係する者は大半が「蝦夷地を直轄すべきだ」という意見だった。

ところが、それでも定信が自分の意見を曲げることはなかった。あくまでも統治は松前藩に委任し、開発は行わないとしている。

それでも幕府の役人を蝦夷地に派遣し、松前藩の監視を強化しながら、ロシアの動静調査を行い、アツケシやソウヤといった場所で「御救交易」を実施させたのは、忠籌の意見があったからだろう。

しかし、定信としては側近の意見も取り入れたつもりでも、忠籌やそのほかの蝦夷地の開発派からすれば、ずいぶんと消極的な印象を受けたのではないだろうか。どうも定信には、「あえて幕府が動かずとも、防衛の重荷から松前藩のほうから自ら土地を差し出すはず」という読みがあったようだ。

はるか先を見据えていた定信だったが、老中就任からわずか6年で罷免されることになる。一橋治済の賛同を得たうえで、「独裁的な傾向が強い定信を、将軍補佐と老中の双方から解任すべし」と老中の評議にかけたのは本多忠籌、その人であった。

【参考文献】
松平定信著、松平定光著『宇下人言・修行録』(岩波文庫)
藤田覚著『松平定信 政治改革に挑んだ老中』(中公新書)
高澤憲治著『松平定信』(吉川弘文館)

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