「最期まで私が看る」くらたまがホスピスではなく自宅で夫を看ることを選んだ理由――医師が「救急車を呼んではいけない」と言った意味
「電車に乗るのが怖い」と、会社には行かなくなりましたが、夫は電話やメール、オンラインで仕事を続けていました。
胃液がせり上がり、何度も吐いてしまう日があったり……。この日も朝から調子が悪く、医師の前でも首をうなだれ声にも張りがなくなりました。
病院での血液検査、それまではたいてい良好でした。腫瘍マーカー検査の結果も数値は高めだけど、他は悪くなくて、むしろ毎回ホッとさせられる時間でした。ところが、いろんな数値に異常が出ているらしく、医師が深刻そうな表情で言いました。
「叶井さんは、ホスピスは嫌なんですよね」
「入院は嫌だ。家がいい」
「訪問医の先生に連絡しましょう」
主治医に自宅近くの訪問医のS先生を紹介してもらい、訪問看護師さんなど在宅医療のスタッフとつながりました。リクライニングタイプの介護用ベッドを夫の部屋に準備。以降は、看護師さんが定期的に訪れて夫の様子を見てもらうことになりました。
最期まで私がこの人を看よう
私の気持ちにも変遷がありました。
終末がまだ現実的にイメージできない頃、「やっぱりホスピスのほうが本人は快適だろうな。私も弱っていく姿を見続けるのはつらいし、世話をする自信ないかも」と思っていました。夫も弱った姿を家族に見られたくないだろう、というのもありましたし。でも、その考えは変わりました。
日々少しずつよくなったり悪くなったりを繰り返しトータルでは段々と弱っていく夫を真横で見て、細かな世話を積み重ねていくうちに、「最期まで私がこの人を看よう」と気持ちが固まっていきました。
夫もこの頃には、かっこつけたりする気はまったくありません。私に、いろんなことを委ねていました。
夫が私の手を離れ自宅以外に行かれてしまうほうが怖かった。顔を見られない時間が増えるのが怖かったんです。

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