日本が一夫多妻制だった平安時代「恋文を父親が代筆」「女はよそに通う男を待ち続け…」 貴族たちの驚きの恋愛観
このことを知らないと、古文を読んでいて「いつまでも、男性が女性の家に“通って”いるということは、まだ結婚していないのか?」とか、「どうして別々に住んでいるの? 喧嘩でもしたんだろうか」と混乱してしまいます。
さらに、「通う頻度」も非常に重要です。実は、離婚したい場合は現代と違って、どこかに届け出をするとか慰謝料を払うとかそういうことは一切なく、男性は、その女性のもとに通わなければ、それで離婚成立です。
女性の孤独と日記文学
簡単に伝えましたが、この理不尽さが分かるでしょうか。男性は、女性のことが好きだと3日通って結婚が成立します。例えば、その帰り道に、たまたま素敵な家があって、そこに入れた。そこで運命の女性を見つけ、一夫多妻制であるのに、その女性一人に気持ちがうつったとしましょう。もう前の女性のもとに通わなければ、離婚となるわけです。それこそ、前の女性のことを忘れてしまうかもしれません。
しかし、前の女性はどうでしょうか。3日通って結婚が成立したのだから、4日目、当然きれいな着物に着替えて待っていることでしょう。夫はやって来ません。5日目も待つことになります。夫は、来ません。忙しいのだろうと自分を慰めながら、6日目、7日目と待ち続けることになります。
ひょっとして夫に何かあったのだろうか。相手のことを心配しながら待ち続けることになります。10日が過ぎ、1カ月が過ぎ、3カ月が過ぎても、女性は待ち続けるしかありません。1年が過ぎても待ち続けるしかないわけです。別の女性の所に、とうの夫は入り浸って、その女性のことは全く忘れていることも知らずに、です。
待ち続ける女性の日記に、『蜻蛉日記』があります。女性の寂しさをより深く理解できると思います。作者である藤原道綱母は、夫である兼家がなかなか自分のもとを訪れてくれないことに、強い孤独と寂しさを抱えていました。
では、作者のところに訪れないときに、夫の兼家は何をしているのか? 一夫多妻制の社会なので、他の女性のところに通っている可能性が高いわけです。妻が1人しかいない男性の方が珍しいほどであり、正妻・側室・愛人といった形で複数の女性と結婚関係を結ぶことも許容されていたのです。
だからこそ女性は、「自分のところに来ないということは、他の女のところに行っているに違いない」と考えることになります。これは寂しさも倍増してしまいますよね。
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