日本が一夫多妻制だった平安時代「恋文を父親が代筆」「女はよそに通う男を待ち続け…」 貴族たちの驚きの恋愛観
そしてこの駆け引きの部分が、古文の文章を読む醍醐味にもなっています。例えば、女性が恋の申し出に対してすぐに「はい」と答えないことが、美徳とされていました。
一度はやんわりと断る、曖昧に返す、気持ちが定まらない様子を装うなどして、相手の気持ちを試したり、自分の価値を高めたりするという心理戦が展開されるのです。これは、「慎み深さを保ちたい」という意識の表れでもあり、相手の真剣さを確かめる手段でもありました。
また、こうした態度を取ることで、男性側に「この女性は他と違う」「簡単には手に入らない特別な存在だ」という印象を与え、さらに恋心を強めさせる効果もありました。
恋の駆け引きとは、ただ気持ちを隠すことではなく、相手との関係性の距離感を丁寧に測り、最も効果的なタイミングで「色よい返事」を返すための知恵だったのです。直接顔を合わせて会うことがないからこそ、このような駆け引きの中で恋愛が成立していったわけです。
たとえば『和泉式部日記』では、和泉式部が敦道親王からの恋文に対して、すぐには返事をせずに寝込んだふりをしたり、体調を理由に断る素振りを見せたりする場面があります。
これは相手の気持ちを試すだけでなく、自分の心がまだ揺れていることや、軽々しく応じられないという慎ましさを表現する手段でもありました。そして、何度も手紙をもらい、相手の誠意を感じたうえで、ようやく返歌をするという流れになるのです。
こうしたやりとりを通して、恋の駆け引きとは一種の“試練”のようなものとして描かれていることがわかります。ストレートに気持ちを伝えることも、伝えてもらうこともないという不安は、登場人物たちの心の中でどんどん大きくなっていき、そしてだからこそ、結ばれたときの喜びは大きいわけです。そんな古文の恋愛観は、現代とはまた違う奥ゆかしさと気品に満ちているのです。
3日連続で男性が女性のもとに通えば結婚成立
試練という意味で言うのであれば、当時は親も子供の恋愛に口出しをしてきます。先ほど「当時の恋愛では身分が大切な要素になる」という話をしましたが、それは「誰と結婚するかが、生き死ににかかわるから」です。当事者同士の関係だけではなく、その親にも影響が出てきます。
例えば、帝と自分の娘が結婚し、その娘が帝の子を生んだのであれば、もしかしたらその子が次の帝になる可能性もあるかも?となります。こうなると、結婚によって一族郎党みんなの身分があがる可能性を持つわけです。
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