"人生100年時代"を喜んでばかりはいられない…「昭和の親孝行」は、もはや"無理ゲー"という深刻

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親は子を産み育てた「恩人」であり、子はその恩に報いるため、親の言うことに従い、親の期待に応えるべきだという考え方が根強くありました。親の意見は子の人生において絶対的なもので、子がそれに反論することは「親不孝」と見なされました。

「長男の嫁が親の面倒を見る」、「親と同居して老後を支える」といった形で、家族内で親の介護や生活の面倒を見ることが一般的でした。核家族化が進む中でも、親の近くに住み、頻繁に行き来して支えることが期待されました。

子が成長して社会に出れば、親に仕送りをしたり、家を建て直す際に資金を援助したりするなど、経済的な面で親を支えることが親孝行とされました。家業があれば子がそれを継ぎ、先祖代々の墓を守ることが、親や家への孝行と見なされました。

親が子に、子が親に、相互に精神的に依存することが「家族の絆」の強さとして美化される側面がありました。親にとって子を育てることが人生の中心に位置し、それゆえに親が子の人生に深く介入することが当たり前とされました。

こうした「期待に応える親孝行」モデルは、主に昭和の時代の社会状況と密接に結びついていました。

終身雇用制度が一般的で、安定した経済成長が続いていたため、子は親が敷いたレールの上を歩みやすく、親も子の将来に対して明確なビジョンを描きやすかったのです。また、三世代同居が比較的多く、地域のコミュニティも強固だったため、家族内での助け合いや、地域での相互扶助が機能しやすい環境がありました。

なぜ「期待に応える親孝行」は機能しなくなったのか?

しかし、現代は、かつての時代とは根本的に異なる状況にあります。
「家族の論理」の代表格とも言える「期待に応える親孝行」モデルが、なぜ現代社会で機能不全に陥っているのか。

その背景には、昭和の時代とは比較にならない重大な社会構造の変化があります。それを5つの項目に分けて、次に見ていくことにしましょう。

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