【戦後80年】「シベリア抑留」終わらない戦後決算/死亡者の3割は未特定、経験者の平均年齢102歳で求められる解明の加速

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当初は日本軍内の階級がそのまま残り上下関係が作られていたが、ソ連側の「民主運動」という共産主義励行の動きが抑留者たちに徐々に浸透。上官として指示する立場だった人間が暴行や食料の意図的な削減といったいじめにさらされるケースも少なくなかったという。

追悼のつどいには抑留経験者や遺族、国会議員など約180人が参加した(記者撮影)

抑留が長くなるにつれ、生活環境はわずかながら改善に向かい、死亡者数は徐々に減少。ソ連側の意向を確認した前提ではあるものの、俳句や短歌、小説といった文化サークルも作られた。音楽を得意とする人たちが楽団をつくって、収容所を慰問する動きもあった。

複数の抑留経験者によると、抑留された地によっては、衣食住がしっかりと整備され地元の人との交流が生まれたり、現地女性と恋愛関係になった抑留者もいたりと、抑留地によって状況はかなり異なっていたようだ。

同センター代表世話人の有光健氏は「抑留された人の大半が厳しい生活を強いられたことは間違いないが、その中でも芸術・表現活動や人間的な考察を深めた人も少なからずいた」と指摘する。

それでも、抑留中の生活について判明しているのは一握りに過ぎない。小林准教授は「抑留中に亡くなった方で名前すらわからない人たちはまだ大勢いる。人間の尊厳が全く無視されている」と強調する。厚労省の記録では少なくとも死亡者のうち3割、1万人以上が氏名などを特定されていない。

抑留経験者の平均年齢は102歳に

戦後80年を迎え、抑留経験者の平均年齢は102歳を迎えた(同センター調べ)。2015年時点で150人以上いた抑留経験者の会員も15人程度まで減少している。抑留体験者が亡くなると自宅で保管していた当時の資料や帰国後に記していた体験談が廃棄されてしまうケースも少なくない。

終戦後約3年シベリアに抑留されていた西倉勝さん(100)は「実態解明の検証が大切だ。抑留された人数は何人だったのか、最も基本的なことが明らかにされず、原因や責任の究明も放置されている。早急な解決のために国民的議論を求めたい」と話す。

当時の記憶と記録が薄れゆく中、実態解明の加速が求められている。

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横山 隼也 東洋経済 記者

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よこやま じゅんや / Junya Yokoyama

報道部で、トヨタ自動車やホンダなど自動車業界を担当。地方紙などを経て、2020年9月に東洋経済新報社入社。好きなものは、サッカー、サウナ、ビール(大手もクラフトも)。1991年生まれ。

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