ソ連側は独ソ戦の激化で死者が全人口の1割超に当たる約2600万人に達し、深刻な労働力不足に直面。ドイツやオーストリア、ハンガリーなど枢軸国側の捕虜を労働に従事させており、日本人の抑留もこうした延長線上で極東の人員不足を補う目的で行われた。
シベリア抑留に詳しい関東学院大学の小林昭菜准教授は「スターリンの極秘指令では捕虜の受け入れを詳しく指示して抑留を行ったが、当初計画していた捕虜の規模は50万人。しかし実際には60万人以上を抑留することになり、食料や衣服、住居などの準備・整備が全く追い付いていなかった。結果、最初の冬である1945年~1946年にかけて死者全体の約8割が亡くなっている」と指摘する。
小林准教授によれば、ソ連側も死者の急増には対策の必要性を感じていたようで「部屋の温暖設備の充実や感染症抑制に向けたワクチン接種などがソ連内務省から出ていたが、地元住民の食糧確保すらままならない状況で物資が供給できる状態ではなかった」という。
こうした抑留に関する実態の解明に向けた取り組みは道半ばだ。
死亡者の正確な人数は不明
そもそも抑留された正確な人数の把握が難しい。所管する厚生労働省は帰還者などに聴取した調査の結果(同省社会・援護局 援護・業務課調査資料室調べ)として、抑留された人数は57.5万人、死亡した人数は5.5万人と推計する。
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