松平定信が「良臣」と認めた藩士の立ち回り 定信の意に背くも、"私欲がなく正直なふるまい"が高く評価されたそのワケ
「政事や人の曲直(誰が正しく、誰が不正か)は漏らしてはならぬと、定邦公からの仰せでござります。世子君(定信)は、定邦公と代わられた訳ではなく、また、定邦公から、先述のこと(政事や家臣の善悪)を伝えて良いとの命令があった訳ではありません。よって、申し上げること、憚りがあります」と拒否したのです。
意に背く回答に定信は……。
それに対し定信は「それならば、何も聞くまい」と回答します。安右衛門の答えに怒ったからではありません。「諂わぬ良臣」と感心したのです。
後に藩主になるであろう若君から様々な質問を受けたら、あれこれと答えてしまうのが「普通」でしょう。若君が藩主となった際に、引き立てを期待して。ところが、川村安右衛門はそのような心情の持ち主ではなかったということで、忠臣であり、廉直(私欲がなく、正直)の士と言うべきです。
定信の今回の白河入りは、将軍・家治の日光社参の警固のためでありました。定信は安右衛門の想いに感心しつつも「此度は、警固のために白河に来たので、それに関することは教えてくれ。その他のことは聞くまい」と伝えたのでした。
人によっては、安右衛門と同じような返答をされたら、激怒したり、恨みに思うようなものもいるでしょう。しかし、定信はそのようなことはさらさらなく、逆に安右衛門を「良臣」と評価しました。定信も優れた心の持ち主と言えます。
同年5月、警固の役目は終了し、定信は江戸に戻ります。
(主要参考・引用文献一覧)
・藤田覚『松平定信』(中公新書、1993年)
・高澤憲治『松平定信』(吉川弘文館、2012年)
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