前妻との"卒婚"後、夢の24歳差婚→60歳で娘が誕生 「今は看護師の妻が大黒柱」と語る67歳、周囲に批判されつつも掴んだ"幸せライフ"

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結婚したのは今から10年前。海嶋さんにとっては2度目の結婚だった。

海嶋さん
広告代理店時代の海嶋さん(写真:海嶋さん提供)

「最初の奥さんも、とてもいい人だった」と話す。広告代理店でクリエイティブデザイナーとして働いていた海嶋さんは、当時業界内で知り合ったモデルエージェントのマネージャーの女性と30歳の頃に結婚。30代前半で娘が2人生まれ、当時は「とにかくよく働いて、家庭を安定させなくては」と必死に働いていた。

コンペに勝つか負けるかで給料の金額が変わり、クライアントに気に入られなければ担当を即交代させられることもある厳しい世界。家のことも子育てもほとんど妻に任せっきりで仕事に没頭する一方、強いストレスを解消するために趣味のギターやバンド活動、飲み会にも明け暮れていたという。

2011年ごろには子どもたち2人がほぼ成人する年齢となり、夫婦ふたりで生きていくフェーズに突入する。しかし、ふと立ち止まって「今後の人生をふたりで過ごすにはどういう形がいいのか?」と考えてみたが、どうしてもしっくりくる答えが出なかった。それなら「別々で生きていこうか」と提案すると、前妻はあっさりと離婚を受け入れたのだという。子どもたちも「両親の好きにすればいい」と言った。

「何を責められるわけでもなく『慰謝料も請求しない』と。娘の大学の費用だけは支払いましたけどね。向こうはどう感じているかわからないけれど、僕の感覚としては『解散した』という感じです」

現在は長女とだけは時折メールで近況報告をするが、前妻とは連絡も金銭のやりとりもしていないそうだ。

「53歳で離婚してから、3年間ほど独身生活を楽しみました。ふわふわと、好きな時に飲みに行って帰ってきて。でも、4年目くらいから『ちょっと待てよ。こんなことばかりしていていいのだろうか。このままだと、どこかで孤独死することになるのかも』と思い始めました。その時に現れたのが、今の妻です」

義理の親とは10歳差、義父は抵抗を示すも…

現在の妻とは行きつけの飲み屋で知り合った。気さくな人柄の海嶋さんは、飲み屋でその日知り合った人と話をして「一期一会」を楽しんでいたという。しかし、妻に対してだけは「なぜか気になって『また会えるだろうか』と思っていると、再び店で顔をあわせることが多かった」。そして、徐々に距離が縮まっていった。

「でも、50を過ぎたオッサンが相手にされるわけがないと思っていたので、妻のほうが自分を『選んでくれた』という感じです」

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