政治的には実現しないかもしれないが、「論理的に実現可能で、今の日本にとって望ましい経済政策」を緊急提言する 

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これは、必需品はだれでも生産でき、生産力が上昇し、かつ労働力があまり続け、成熟国で足りなくなっても、中国が、その次にはさらに貧しい国々が供給してくれるという前提に立っているのだ。必需品は貧乏な国に任せ、安く作らせ、その消費利得を享受しながら、自分たちは、今の消費に常に飽きており、新しい刺激を求めている消費者たちの暇つぶし品(ぜいたく品)市場を奪い合ってきたのだ。

究極的には、奪い合いよりも、資産市場で死ぬほど儲けて有り余っている、「なんか面白いモノ、コトなあい?」という超富裕層にカネを使わせることに絞ればよい。

よって、健全な消費者の多い日本市場は置いていかれたのである。一方では、必需品またはそれに準ずるささやかな嗜好品は異常に発達し、貧しい(よって健全に予算制約が効いている)消費者に鍛えられたコスパのよい生産者が生き残っているのだ。だが、世界では儲けるのが下手だ、付加価値が取れない、物理的な生産効率(一般的な人々が想像する生産性)は異常に高いが、価格が安すぎて(妥当過ぎて)、GDP(付加価値)の増加で測った(付加価値)生産性(経済学者もエコノミストもこの生産性しか知らない)が低い日本ということになったのだ。

世界は「必需品をどう効率的に入手するか」の競争に

しかし、こういう世界は、本当は1970年代のオイルショックで終わった。必需品をどう効率的に入手するかの競争になった。

しかし、それは石油あるいは資源に限られると誤解され、日本はバブルに突っ込み、欧米世界は1990年代から遅れてそのようなバブルに参加した。

しかし、これらのバブルも2008年のリーマンショックで終わった。決定的に終わったことが認識されたのは、2020年のコロナショック後だ。需要よりも供給網、食料だけでなく、半導体などの広い意味での必需品の効率的な生産が重要だ、そしてその担い手である労働力が重要だ、ということに、人々はやっと気づいたのである。

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