水族館の人気者バンドウイルカを死に追いやった「ブドウの房」のような姿をした生き物の正体――飼育員さんの強い思いで実現した出張解剖
もともとイルカの皮膚は黒く、ちょっとした傷は日常茶飯事ということもあり、水族館ではこの蜂窩織炎を見落としていたようです。もっとも僕自身も、ちょっとした違和感から、のちにその部分の組織を顕微鏡で詳しく観察して、蜂窩織炎を起こしていることに気づきました。
「予断を排し、すべてを疑ってかかる」という病理検査の基本姿勢が生きた好例です。
特に解剖で感染症を疑う所見が観察された場合、どこから感染が起きたのか、いつもより注意深く観察をしなければいけません。それを見逃してしまうと、誤った対策をとってしまうおそれがあるからです。
このイルカが黄色ブドウ球菌による蜂窩織炎を起こしていたとなると、皮膚の小さな傷から侵入した黄色ブドウ球菌が、血流に乗って肺や脾臓まで達し、そして肺を冒された、というストーリーが浮かび上がってきます。
ストレスなど、なんらかの要因で免疫機能が落ちていて、たまたま傷がついた皮膚のところで黄色ブドウ球菌を食い止められなかった可能性があります。
4時間あまりに及んだ病理解剖
解剖に参加した飼育員さんたちはみな熱心で、解剖の手順や手技、病変の見分け方、サンプル採取の段取りなどについて、いろいろと質問を受けました。
また、取り出した臓器や組織を、みなさん食い入るように見て、よく観察しておられました。
4時間あまりに及んだ病理解剖を終え、深い息を吐いた飼育員さんの表情には、疲労、やはり悲しみ、それと同時に、何かを学び取った手応えのようなものが感じられました。彼らの真剣さにあてられて、僕自身も改めて「これからも遺体としっかり向き合い、ていねいな解剖をしていかねば」と強く思いました。
動物の遺体には、その動物の生涯の軌跡と病気との闘いの記録が刻まれています。病理解剖を通じて読み取られたそれらの情報は、診断や治療に悩む獣医師や飼育員(ペットの場合は飼い主)、そして同じ症状で苦しむ動物たちのために生かされます。
この水族館のように、亡くなったイルカの正確な死因をきちんと究明し、そこから学ぼうとする真摯な姿勢は、将来、多くのイルカの命を守ることにつながるでしょう。