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地震報道で話題「悪石島」での暮らしはどんなものか→銀行も病院も飲食店もない、島民《全員顔見知りの島》で小学校教師が暮らした5年間

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悪石島と沖縄にある対馬丸記念館は長年の交流がある。毎年ハロウィンになると、対馬丸記念館から悪石島の子どもたちへお菓子が贈られる。毎月の慰霊に対するお礼と、「対馬丸に乗っていた子どもたちは味わえなかったお菓子を、悪石島の子どもたちに食べてほしい」との願いを込めて。

終戦後は、北緯30度線が引かれ、以南はアメリカ領に。急に本土との交流が途絶え、物が流通しなくなり、さらにはドルを使わなくてはいけなくなり悪石島は混乱した。

1952年に本土復帰を果たすが、「モノがない」「お金を得られる場所がない」といった状態は続き、その後も島民たちは苦労したという。

島の掟を破って贈られた“特別な餞別”

2022年の3月に片野田一家は島を離れた。元々3年の赴任予定だったが、すっかり島が大好きになり、赴任期間を延ばしてもらって5年いたという。

「毎年お盆や年末は鹿児島市に帰省していましたが、最後の年はずっと島にいました」

片野田家に置いてあるボゼのお面(筆者撮影)

島を離れる際、島民から片野田一家へ小さなボゼのお面が贈られた。ボゼは祭り以外で形にしてはいけないという島の掟がある。島の守り神だからだ。しかし、「特別に」ということで島のみんなで作ったお面が贈られた。

「ほんと島の食は豊かだったなと思い出します。スーパーでタラの切り身を見ると最近のは薄くなる一方で。島ではいろんな魚介をたっぷり入れて、すごくいい出汁がでた豪華な鍋をしていました」

片野田一家と悪石島の交流は今も続き、2022年には3男の音君が1人で島へ行き、1週間釣りや学校の手伝いをしたという。また、和則さんからは定期的に“悪石島の幸”が届く。

和則さんからの船便(画像提供:片野田隆紀)

断崖と海に囲まれた「悪」の名を冠する小さな島。不便さも、過酷さも、楽しさも、雄大な自然も、人間がたくましく生きることの原点をそっと教えてくれるようだ。

【写真56枚】断崖絶壁に、青い空、獣医のいない島で牛の出産を手伝う…豊か過ぎる「悪石島」の暮らしのようす 

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